エジプト美術〜「ギザの三大ピラミッド」「死者の書」「ツタンカーメンのマスク」
目次
①年代・地域
紀元前3000年頃〜紀元前30年頃にナイル川下流域に発達した古代文明、エジプト美術です。
②概要(時代背景)
エジプト文明はナイル河のもたらす恩恵によって誕生しました。人々が定住し農耕を開始したのは、およそ紀元前3000年ごろと考えられており、ナイル河流域で発達した農業を背景に人口が増加し、古代文明の形成が開始されました。エジプト人は天体や自然の営みのなかに神を認め、魂の存在を信じていました。また神と人間が交流するため代理人として神の子が存在していました。この神の子をファラオと言います。
エジプト人は永遠の命と死者の復活を信じて死者を手厚く葬りました。古代エジプト人ほど「永遠」という言葉を好んだ民族はないといわれています。「太陽のごとく永遠に」、「永遠の生命、健康、富」といった言葉は繰り返し墓の中に刻まれています。この信仰は、エジプトの歴史全体を通して共通するものであり、美術様式もこの考え方がベースとなりました。
紀元前3100年頃、南と北に分かれていたエジプトを統合した初期王朝時代に美術活動が盛んに行われ、彫刻、墓など、その後の古王国時代に発展する様々な美術の原型が作られました。紀元前2686年、王の権力が確立し中央集権国家が作られ、あの有名なピラミッドは作られました。彫刻については、親しみのある個性が感じられるような写実的な表現のものが多く残されています。
紀元前2050年から1663年頃ごろになると、王朝の統治力は急速に弱体化したことを背景に巨大ピラミッドは建設されなくなりますが、数多くの神殿や木彫り彫刻が作られるようになりました。エジプト美術が絶頂期をむかえるのは新王国時代と言われる紀元前1786年から1567年頃、王の権力が再び強化されたことにより、都市を中心に各地で大規模な建築が行われました。この時代に壮大な大神殿や王像が数多く建設されていきます。
また、表現力もこの時代に発達していきます。例えば、手足が長く引き伸ばされ、頭部が美しく装飾された人体表現。宮廷美術の華やかな演出にとどまらず、内面的描写も見られました。エジプト美術において最も大きな特徴をあげるとすれば、3000年の間、造形様式にわずかな変化が認められるものの、基本的にはほとんど変化せず一貫性があったことです。
その理由として、ナイル河がもたらす豊富な作物、それによる地理的環境がエジプト人の保守的、伝統的気質を育てたと考えられます。
③代表作・代表画家
紀元前2500年頃に建設された『ギザの三大ピラミッド』
世界で最も有名な古代遺跡の一つが、ギザの三大ピラミッド。エジプトの首都カイロ郊外にあるクフ王、カフラー王、メンカウラー王の三つのピラミッドを指します。エジプトの王の葬送儀礼がとり行われた墓として建設されたという説が有力とされていますが、ほかにも日時計、天体観測を目的として建設されたという説もあります。また、建設当時は石灰岩で表面が覆われていたため、ピラミッドは白く光り輝いていたそうです。
紀元前1300年頃に作られた『死者の書』
この死者の書は、巻物に象形文字と絵で描かれ、世界最長の死者の書となっており、37mという長さを誇ります。死者の霊魂が肉体を離れてから死後の楽園アアルに入るまでの過程・道しるべを描いた書。冥界へくだる魂が死後の世界で受ける裁きについてや、死者の裁判官オシリスに会った時に語るべきことなどが記されています。
紀元前1324年、ツタンカーメンのマスク
わずか9歳で即位した古代エジプト第18王朝ファラオ、ツタンカーメンの黄金のマスクです。このマスクは、1.5mmから3mmの厚さの高純度の金で仕上げられています。また、マスクの両肩部分には、『死者の書』にある古代の呪文が象形文字で刻印されています。
作風・まとめ
ということで、エジプト美術のポイントをおさらいしましょう。
- エジプト文明はナイル河流域に誕生。そのナイル川の自然のサイクルによって、長期にわたり文明を意地することができた。
- 地理的環境が良かったため、3000年の間、美術様式がほとんど変化せず一貫性があった。
- エジプト人は魂の存在を信じ、永遠の命・死者の復活という信仰がベースとなり遺跡や工芸品などを製作していた。