シミュレーショニズム

概要

出典:Serpentine Galleries
Shelf with Annie Figurine (1981)
Haim Steinbach(ハイム・スタインバック)

シミュレーションとは、記号やモデルが現実に先行し、現実の方がそのモデルに合わせて経験されていくプロセスのことです。アーティストのピーター・ハリーは、1987年のインタビューで「エアコンは自然な空気のシミュレーションであり、映画は人生のシミュレーションだ」と述べ、こうした感覚を端的に言い表しました。シミュラークルとは、そのプロセスが極限まで進んだ状態のことで、記号がもはや本物の現実を参照せず、イメージどうしが組み合わさってそれ自体で世界を作り出してしまう段階を指します。

出典:wikiart
Untitled (Buy Me)
Barbara Kruger(バーバラ・クルーガー)
Date: 1984

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Double Elvis
Peter Halley(ピーター・ハリー)
Date: 1990

ボードリヤールは『シミュラークルとシミュレーション』(1981)で、この関係が歴史的に三段階をたどると論じました。

第一段階:絵画や写真などのイメージは現実を忠実に再現します。本物が先にあり、あくまでイメージはそのコピーです。
第二段階:広告やプロパガンダのようにイメージが現実を歪めたり隠したりするようになります。それでも「背後に現実がある」という前提は残っています。
第三段階:この段階をシミュラークルといい、記号がもはや本物の現実を参照せず、「現実もどき、つまりコピーやシミュレーション」が本物以上にリアルに感じられます。

ボードリヤールはこの状態を「ハイパーリアリティ」と呼びました。ここで重要なのは「偽物が増えた、コピーが増えた」のではなく、オリジナルとコピーの区別そのものが意味を失っていく、ということです。

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Fountain (Madonna)
Sherrie Levine(シェリー・レヴィン)
Date: 1991

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Spam
Andy Warhol
Date: 1980

こうした思想を背景に、1980年代以降のアートでは「ゼロからオリジナルをつくる」という発想が退き、すでに世の中に流通している商品・イメージ・スタイルをそのまま作品として扱う動きが現れました。これが「シミュレーショニズム」です。単にコピーするのが目的ではなく、消費社会の商品や記号、過去の作品などをそのまま「モデル」として提示し、それが現実以上のリアリティを帯びていることを露わにする行為です。ピーター・ハリー、ジェフ・クーンズ、ハイム・スタインバック、シェリー・レヴィンらが「シミュレーショニスト」と呼ばれましたが、これは厳密な流派名やアートジャンルではなく、コピーだらけの現実を前提に作品をつくる作家に対して使われたカテゴライズです。

シェリー・レヴィン

出典:wikipedia
After Walker Evans: 4 (1981)

シェリー・レヴィンは、ウォーカー・エヴァンズの写真集に掲載された写真をそのまま再撮影し、自分の作品として発表した《After Walker Evans》(1981)で知られています。既存のイメージをほとんど手を加えずに「借りてくる」ことで、「これは誰の作品か」「オリジナルとはどこにあるのか」を直接問いかける表現です。

ジェフ・クーンズ

ジェフ・クーンズの《The New》シリーズは、新品の掃除機をアクリルケースに封入し、「永遠に使われない新品」として展示した作品です。これは機能する道具ではなく、消費社会が商品に付与する「理想の新品」という欲望のイメージそのものです。

出典:wikiart
New Hoover Quik Broom, New Hoover Celebrity IV
Jeff Koons
Date: 1980

出典:wikiart
New Hoover Deluxe Rug Shampooer
Jeff Koons
Date: 1979

《Equilibrium》ではナイキのバスケットボールを水槽に浮かべ、アメリカ的な上昇志向を静止したモデルとして見せました。どちらも、「商品イメージのシミュレーション」として解釈される、シミュレーショニズムを代表する作品です。

出典:wikiart
One Ball Total Equilibrium Tank (Spalding Dr. J 241 Series)
Jeff Koons
Date: 1985

出典:TATE
Three Ball Total Equilibrium Tank (Two Dr J Silver Series, Spalding NBA Tip-Off)
1985

これらの作品に共通するのは、コピーや既製品・既存のスタイルをそのまま作品の前提として使う態度です。それによって「オリジナルとコピーは本当に分けられるのか」「私たちが現実だと思うものは、どれだけメディアに作られているのか」という問いを突きつけました。

シミュレーショニズムの思想を背景に、アプロプリエーションという技法を多く使用したアートジャンルが、ネオポップ(商品・キャラクターを通じて消費社会の欲望を描く)、ネオジオ(幾何学抽象で情報社会の管理構造をモデル化する)です。これらをあわせて見ることで、1980年代ポストモダン・アートがいかにシミュラークルの時代感覚を共有していたかが見えてきます。