インターネット・アート

概要

インターネットアートの歴史は1990年代半ばに始まります。1994年以降、ヴーク・チョシッチやJODI、アレクセイ・シュルギンら主に東欧出身の作家たちが「net.art」と呼ばれるグループを形成し、ブラウザの誤作動やHTMLコード自体を素材に、美術制度に縛られない作品を発表しました。
しかし、2000年代半ば、インターネットは生活のインフラへと変化します。2006年、マリサ・オルソンが「ポストインターネット・アート」を提唱し、2009年にジーン・マクヒューがブログで概念を広めました。これは「インターネット以後」ではなく「インターネットについて」の時代を指し、ネットワーク文化そのものを考察する実践を意味します。

ヒト・シュタイエル

出典:Lekelly99
How Not To Be Seen: A Fucking Didactic Educational .MOV File

出典:TATE
Hito Steyerl – 'Being Invisible Can Be Deadly' | TateShots

ヒト・シュタイエルの《How Not to Be Seen: A Fucking Didactic Educational .MOV File》(2013)は、モンティ・パイソン風の教育ビデオ・パロディ形式で、監視時代の不可視性を扱う作品です。カリフォルニア砂漠を撮影地とし、航空写真から人間が映らないよう、グリーンスーツを着た人物がクロマキー処理で映像から消えたり、ピクセルより小さくなる方法などを提示しています。映像は、ユーモラスな作りにはなっていますが、「どう足掻いても監視社会から監視を防ぐことはできない」という深刻な問いを表現しています。

ライアン・トレカーティン

ライアン・トレカーティンのビデオは、ネット世代のテンションとカオスをそのまま映像化したものとして評価されています。《I-Be Area》(2007)では、派手なメイクの登場人物が、住宅街の室内やカラフルなCG空間を行き来しながら、チャットログのような断片的なセリフを早口でまくしたてます。画面分割やテロップが多層的に重なり、性別やオンライン/オフラインの境界が曖昧なキャラクターたちを通じて、「インターネット的な言葉の洪水の中で、クィアで流動的な自己像が立ち上がる様子」を描いた作品だと解釈されています。

出典:AAAAAAAAAA42
I-Be Area (Full movie)

アメリア・ウルマン

アメリア・ウルマンの《Excellences & Perfections》(2014)は、Instagramそのものを作品の展示空間にしたプロジェクトです。本作は「最初のInstagramアート作品の一つ」「最初のインスタグラム・マスターピース」と称されています。ウルマンは約5か月間(2014年4月〜9月)にわたり、自身の既存のインスタグラム・アカウントで、3つのエピソードで展開する架空のキャラクターの物語を投稿しました。フォロワーはこれを本人のリアルな生活だと信じていましたが、約9万人のフォロワーに達した時点で、事前に脚本化されたパフォーマンスだったと明かされました。この作品は、「Instagramにおける女性性、自己ブランディング、身体のステレオタイプを演じることで暴き出すフェミニズム的パフォーマンス」として評価されており、2016年にはテート・モダンの「Performing for the Camera」展にも選出され、ソーシャルメディアを基盤とするアート作品として初めて一流美術館に入った先駆的事例となりました。

出典:BBC
The Instagram artist who fooled thousands

ペトラ・コートライト

出典:MoMA
Petra Cortright
VVEBCAM
2007

出典:petra cortright
sickhands

出典:petra cortright

コーリー・アーカンジェル

コーリー・アーカンジェルの《Super Mario Clouds》(2002)は、ゲーム『スーパーマリオブラザーズ』のカートリッジを書き換え、キャラクターや地形を消して空と雲だけがゆっくりスクロールする画面にした作品です。本作は、馴染み深いゲーム画面から「プレイ」や「目的」が取り除かれることにより、デジタル世界のインターフェースと、それにまつわる記憶やテクノロジー文化そのものを、少し離れた視点から見直させる作品です。

ジョン・ラフマン

出典:Google Arts & Culture
Jon Rafman, Nine Eyes of Google Street View (River Rd, Castelton-On-Hudson, New York)
Jon Rafman2013 - 2014

インターネットは世界を見るためのインターフェースです。そこで起こる「見られる/見えなくなる」「演じる/記録される」といった条件そのものが、作品の素材になっています。シュタイエルは監視文化を、ウルマンはSNSの自己演出を、トレカーティンはネット世代の流動的アイデンティティを、コートライトはエフェクトが媒介する自己像を、アーカンジェルはゲームのコードを、ラフマンはアルゴリズムがつくる風景を扱います。共通するのは、インターネットを「表現の道具」ではなく「考察の対象」として捉えている点です。

ネット以後の世界で私たちがどう見て、見られ、演じているのか。その問いを視覚化することが、このインターネットアートの核心にあります。