パリから南西へ約 90km、麦畑の彼方に双塔が見えてくる。
これが シャルトル・ノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Chartres)。
ユネスコ世界遺産、ゴシック大聖堂 の最高峰のひとつです。
目次
建築データ
- 位置:フランス・ウール=エ=ロワール県シャルトル
- 主要建設期:1194-1250 年頃
- 1194 年の火災後、大規模再建
- 身廊長 130m、身廊高 37m
- 双塔:北塔 113m(フランボワイヤン式、16 世紀完成)/南塔 105m(12 世紀ロマネスク末期)
南北の塔の様式差が、シャルトル全体の歴史を物語ります。
歴史
- 876 年、シャルル禿頭王が「聖母の聖衣(サンタ・カミーザ)」を寄進
- 以降ヨーロッパ最大級の聖母巡礼地
- 1020 年ロマネスク聖堂着工(地下クリプタは現存)
- 1194 年大火災、聖衣のみ奇跡的に焼け残る
- 「再建は神の御意」とヨーロッパ中から献金
- 1220 年代に身廊・側廊の主要部完成
建築の特徴
三層構造の身廊立面
- 大アーチ(アーケード)/三葉洞窓(トリフォリウム)/高窓(クリアストーリー)
- 従来の四層から三層へ整理、上部にステンドグラスを最大化
- 後の ゴシック 大聖堂の標準モデル
飛梁(フライング・バットレス)
- 初期から本格的な飛梁を装備
- 外側から構造支持、壁面を窓に解放
幾何学的な平面
- 身廊・トランセプト・コーラスの十字平面
- フロアの「ラビリンス(迷路模様)」が床に残る(直径 12.9m)
- 巡礼者が膝で辿る「内なる旅」のメタファー
ステンドグラスの宝庫
シャルトルは中世オリジナルのステンドグラスがほぼそのまま残る奇跡の聖堂です。
- 約 152 窓、2600m²、12-13 世紀のオリジナル
- 第二次大戦時に疎開、戦災を免れる
- 「シャルトル・ブルー」と呼ばれる深いコバルト青
- 主題:旧約三者・キリスト伝・聖母伝・聖人伝・最後の審判・労働の月暦・寄進者の職人組合
三大薔薇窓
- 西側薔薇窓(最後の審判、12 世紀末)
- 北薔薇窓(聖母の戴冠、1230 年頃、フランス王家寄進)
- 南薔薇窓(黙示録、1230 年頃、ドルー家寄進)
薔薇窓は宇宙論的な円形構造として中世神学を可視化しています。
彫刻:王の門と翼廊扉口
王の門(西扉口、1145-55)
- ロマネスク末期の傑作、火災で奇跡的に残存
- 「キリストの威光」のタンパン
- 柱身像(ジャンブ柱の聖人像):旧約王・預言者の細長い人物像
- 柱と一体化したまま、表情に内面性が宿る画期
北扉口(1205-15、旧約聖書)
- 「玉座のキリスト」と聖母戴冠
- 柱身像はもはや独立彫刻に近い
南扉口(1210-20、新約と最後の審判)
- 柱身像「美しき神」(ル・ボー・ディユ):ゴシック彫刻の聖像化の頂点
- キリストの慈愛に満ちた表情
王の門の細長い人物 →北・南扉口の自然主義的人物の流れは、12〜13 世紀ゴシック彫刻の進化そのものです。
聖母信仰と聖衣
- 「サンクタ・カミーサ」:聖母マリアが受胎告知の際に着ていたとされる聖衣
- 876 年シャルル禿頭王の寄進以来の聖遺物
- シャルトルがパリ大学神学部のライバルになるほどの聖母学の中心地
- 「シャルトルの聖母」(黒い聖母像)が地下クリプタに祀られる
クリプタ(地下聖堂)
- 11 世紀ロマネスク期の地下空間
- フランス最大級のクリプタ(長さ 220m)
- ガロ・ローマ期の井戸(聖なる泉)が現存
- 「黒い聖母」サンクタ・マリア・スブ・テラ
ラビリンス(迷宮)
- 身廊の床に石でつくられた迷路模様(直径 12.9m)
- 11 周の同心円、261.5m の道のり
- 巡礼者が膝で辿ることでエルサレム巡礼の代替に
- 金曜日(特に四旬節)に椅子を退け体験できる
後世への影響
- ランス・アミアン・ブールジュ大聖堂のモデル
- 19 世紀ヴィオレ=ル=デュク:ゴシック修復の理論化
- ロダンが「フランスの大聖堂」を執筆(1914)
- 20 世紀には聖母学・キリスト教神秘主義の象徴として再評価
訪問のヒント
- ステンドグラスは午後の西日で輝きが増す
- 双眼鏡があると上層の図像が読みやすい
- ガイド付きツアー(マルコム・ミラー氏が長年解説で著名、英語)
- パリのモンパルナス駅から TGV/通勤列車で約 1 時間
まとめ|シャルトルを読む視点
- ゴシック大聖堂の建築・彫刻・ステンドグラスの三位一体の到達点
- 12-13 世紀オリジナルの保存度が世界最高水準
- 聖母信仰・巡礼・スコラ学の中世精神を体感できる現役の聖堂

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