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日本美術昭和(戦前・戦中)

戦前・戦中昭和美術とは:モダニズムと国家動員の二重奏

戦前・戦中昭和美術は、1926 年(昭和元年)の改元から 1945 年の終戦までの約 20 年間を扱う。この時期の日本美術は、(1)明治・大正に整備された洋画・日本画の制度を継承しつつ、(2)パリ留学組が持ち帰った前衛運動と、(3)国家総動員体制下の戦争画という、相互に矛盾する三つの力が交錯した複雑な期間である。

本サイトの戦前・戦中昭和カテゴリは、二科会・独立美術協会・帝展(→新文展→日展)・国画会といった団体活動、藤田嗣治のパリ時代と帰国後の戦争画、横山大観の朦朧体から晩年へ、岡本太郎の戦前パリ滞在期、シュルレアリスム受容、戦時下の聖戦美術展まで横断的に扱う。

主要トピック:5 つの軸

1. 洋画の成熟と前衛

大正末期から昭和初期にかけて、岸田劉生・梅原龍三郎・安井曾太郎梅原龍三郎らがフランス印象派・ポスト印象派の影響を独自に咀嚼した。一方、シュルレアリスム・抽象・キュビスムを吸収した前衛として、福沢一郎・北脇昇・吉原治良(戦後具体美術協会創設)・三岸好太郎が活動した。1937 年の自由美術家協会、1939 年の美術文化協会など前衛団体が結成された。

2. 日本画の革新

横山大観は朦朧体を脱して大陸的な水墨表現に向かい、速水御舟・小林古径・前田青邨・安田靫彦らが古典と近代感覚を融合した新しい日本画を展開した。菱田春草は明治末没だが、その朦朧体の遺産が昭和の日本画家にも継承された。日本画タグを参照。

3. 藤田嗣治と海外で活動した日本人

藤田嗣治はパリ「エコール・ド・パリ」の中心人物として「乳白色の下地」と細い墨線による裸婦で国際的成功を収めた。1933 年帰国後は戦争画制作に従事し、戦後は GHQ により責任追及を受け 1949 年フランス再渡航、1955 年フランス国籍取得・カトリック改宗(洗礼名レオナール)。

4. 戦争画(作戦記録画)

1937 年の日中戦争開戦後、陸軍美術協会・大日本海洋美術協会が組織され、藤田嗣治「アッツ島玉砕」、宮本三郎「山下、パーシバル両司令官会見図」、小磯良平「娘子関を征く」など大画面の戦争記録画が量産された。終戦後、これらは GHQ 接収を経て長らく公開停止、現在は東京国立近代美術館に多くが寄託保管されている(無期限貸与扱い)。

5. 写真・建築・工芸の昭和モダン

新興写真(中山岩太・木村伊兵衛)、構成主義的グラフィック(杉浦非水・河野鷹思)、丹下健三・前川國男ら戦後本格化する近代建築の戦前修業期、民藝運動(柳宗悦・濱田庄司河井寛次郎)など、絵画以外の領域でも昭和モダニズムが進展した。

代表作・代表事例

分野作家・作品制作年・所蔵
日本画横山大観「生々流転」(重要文化財)1923 年・東京国立近代美術館
日本画速水御舟「炎舞」(重要文化財)1925 年・山種美術館
日本画小林古径「髪」1931 年・永青文庫
洋画岸田劉生「麗子像」連作1918 年〜・各所
洋画佐伯祐三「郵便配達夫」1928 年・大阪中之島美術館
洋画三岸好太郎「のんびり貝」1934 年・北海道立三岸好太郎美術館
エコール・ド・パリ藤田嗣治「五人の裸婦」1923 年・東京国立近代美術館
戦争画藤田嗣治「アッツ島玉砕」1943 年・東京国立近代美術館(無期限貸与)
戦争画宮本三郎「山下、パーシバル両司令官会見図」1942 年・東京国立近代美術館(無期限貸与)
前衛福沢一郎「牛」1936 年
前衛古賀春江「海」1929 年・ブリヂストン美術館
民藝濱田庄司・河井寛次郎の陶磁各所

技法・特徴

  • 洋画の写実深化:岸田劉生は北方ルネサンス的細密描写、安井曾太郎・梅原龍三郎は色彩主義のフランス系を独自に展開した。
  • 日本画の岩絵具新表現:速水御舟は岩絵具の粒子感を生かして焔の動きを描き、伝統技法の新しい可能性を示した。岩絵具タグ
  • 藤田の乳白色下地:油彩でありながら絹本の質感に近い柔らかな白い下地と、墨を思わせる細い輪郭線。タルクや鉛白を含む独自配合は門外不出だった。
  • シュルレアリスムの土着化:福沢一郎・北脇昇らはマグリットやエルンストの直接的影響を経て、戦時下の不安と日本的風土を融合した独自の幻想絵画を確立した。
  • 戦争画の大画面:縦 2m を超える大画面に、報道写真・現地スケッチ・歴史画的構成を統合する独特の様式。西洋アカデミーの歴史画文法を国家行事に転用した。
  • 民藝の「用の美」:柳宗悦が理論化した、無名の職人の手仕事に宿る健全な美。河井・濱田・バーナード・リーチが実践した。

影響と後世への継承

戦前・戦中昭和美術は、(1)戦後の日本現代美術に直接接続する。具体美術協会(吉原治良 1954)、もの派岡本太郎の戦後爆発期は、戦前の前衛吸収を前提にしている。(2)藤田嗣治戦争画問題は、戦後長く公開・研究が停滞したが、2006 年以降東京国立近代美術館で再展示が始まり、戦争責任と美術史の関係を問い直す議論の起点となった。

主要コレクションは東京国立近代美術館(戦争画含む)、ブリヂストン美術館(現アーティゾン美術館)、山種美術館(日本画)、大阪中之島美術館(佐伯祐三)、北海道立三岸好太郎美術館に分散している。

学び方ガイド:はじめて昭和前半期美術を学ぶ人へ

戦前昭和は資料が多く、しかも政治と切り離せない複雑さがある。最初は(1)藤田嗣治からアプローチすると、エコール・ド・パリの華やかさと戦争画の暗部、戦後の追放と再渡航という日本近代美術の縮図を一人の作家で辿れる。次に(2)速水御舟「炎舞」横山大観「生々流転」で日本画の革新を、(3)佐伯祐三三岸好太郎で洋画の早世した才能を、(4)福沢一郎でシュルレアリスム受容を押さえると、この時代の振幅が見える。

よくある質問

Q. 戦争画はなぜ長く公開されなかったのか

1951 年に GHQ が戦争画 153 点をアメリカに接収・送付し、1970 年に「無期限貸与」として日本に返還された経緯から、東京国立近代美術館での扱いが慎重になった。1977 年と 2006 年以降に常設展示が再開された。

Q. 藤田嗣治はなぜフランスに帰化したのか

戦後 GHQ から戦争画制作の責任追及を受け、また日本美術界からも「戦争画家」として排除されたことに失望し、1949 年に渡仏。1955 年フランス国籍を取得、1959 年カトリック改宗(洗礼名レオナール)し、1968 年スイスで没した。

Q. 戦前にも本格的な抽象絵画はあったのか

はい。村山知義・神原泰らの「マヴォ」(1923 年)以降、長谷川三郎、村井正誠、山口長男らが抽象を実践した。1937 年自由美術家協会、1939 年美術文化協会で発表の場が組織化された。ただし戦時統制で活動は縮小し、本格展開は戦後を待つ。

鑑賞のチェックポイント

  • 制作年:1937 年(日中戦争)・1941 年(太平洋戦争開戦)の前後で表現の自由度が大きく変化した。年代を確認することが解釈の起点。
  • 団体所属:二科会・帝展系・独立美術協会・自由美術家協会など、所属団体が作家の立ち位置を物語る。
  • 素材:油彩か絹本着色か紙本着色か、岩絵具・墨・墨に金箔の有無で日本画の系譜が読める。
  • サイズと制作主体:大画面で陸軍・海軍美術協会の依頼か、個人制作の小品か。

関連記事・関連カテゴリへの導線

続けて、戦後への接続を読むなら戦後日本現代美術具体もの派を辿るのが王道。前史を補強するなら明治・大正の制度形成(東京美術学校・帝展)から再読すると流れが繋がる。

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