1. 概要
抽象(style-abstract)は、再現可能な対象を画面から段階的または完全に消去し、形・色・線・面・マチエールそれ自体の関係によって絵画的現実を成立させる様式の総称である。19 世紀末の絵画的自律性の追求から、20 世紀初頭の「最初の抽象画」(カンディンスキー、マレーヴィチ、モンドリアンら)を経て、戦後アメリカ抽象表現主義、カラーフィールド、ミニマル、ポストペインタリー抽象、現代の絵画的抽象まで、20-21 世紀美術史の主軸を形成してきた。
本ハブでは抽象を「再現性の段階的放棄」と「絵画的言語の自律化」という二つの軸で整理し、具象 との対比、抽象表現主義 などの個別運動との関係を体系的に示す。
2. 歴史的展開
2.1 起点:19 世紀末から 1910 年代へ
抽象の前史は、印象派の光学化、ポスト印象派(セザンヌ の形態探究、ゴーガンの平面化)、キュビスム(1907-)における対象の解体に見出せる。1910 年代には、ヴァシリー・カンディンスキー(『コンポジション VII』1913)、カジミール・マレーヴィチ(『黒い四角』1915、シュプレマティスム宣言)、ピート・モンドリアン(新造形主義、1917-)が、いずれも独立に「対象なき絵画」を成立させた。
2.2 戦間期:構成主義・バウハウス・デ・ステイル
ロシア構成主義(タトリン、リシツキー)、バウハウス(カンディンスキー、クレー、アルバース、モホイ=ナジ)、オランダのデ・ステイル(モンドリアン、ファン・ドゥースブルフ)が、抽象を理論的・教育的言語として体系化した。同時にフランスのアブストラクション=クレアシオン、英国のヴォーティシズムなどの動向も並走した。
2.3 戦後:アメリカ抽象表現主義とその拡張
第二次大戦後、ニューヨークが抽象の中心となる。アクション・ペインティングの ジャクソン・ポロック、カラーフィールドの マーク・ロスコ、バーネット・ニューマン、クリフォード・スティル、フランツ・クライン、ウィレム・デ・クーニングらが 抽象表現主義 を構成し、批評家クレメント・グリーンバーグの「平面性のモダニズム」理論と結びついた。
2.4 1960 年代以降:ポスト・ペインタリー、ミニマル、現代
1960 年代にはモリス・ルイス、ケネス・ノーランド、フランク・ステラのポスト・ペインタリー抽象、ドナルド・ジャッド、カール・アンドレ、ソル・ルウィットの ミニマリズム が、絵画と立体を含む抽象の地平を更新した。日本では具体美術協会(吉原治良ら)、もの派が独自の物質性を探究した。21 世紀のゲルハルト・リヒター、マーク・ブラッドフォード、ジュリー・メーレトゥらは、抽象を再記憶・地理・社会の媒体として再活性化している。
3. 代表作・代表作家
| 作家 | 運動 | 代表作 | 意義 |
| カンディンスキー | 抽象表現の起源 | コンポジション VII(1913) | 音楽との類比による抽象 |
| マレーヴィチ | シュプレマティスム | 黒い四角(1915) | 純粋抽象の宣言 |
| モンドリアン | 新造形主義 | 赤・青・黄のコンポジション(1930) | 三原色と垂直水平 |
| クレー | バウハウス | 赤い気球(1922) | 色彩と詩的抽象 |
| ポロック | 抽象表現主義 | No.5(1948) | ドリッピングの身体性 |
| ロスコ | カラーフィールド | 無題(赤)シリーズ | 色面の崇高 |
| ニューマン | 抽象表現主義 | ジップ・シリーズ | 垂直線の精神性 |
| フランク・ステラ | ポスト・ペインタリー | ブラック・シリーズ | 絵画の物体化 |
| 吉原治良 | 具体美術協会 | 円 | 戦後日本の抽象 |
| ゲルハルト・リヒター | 現代抽象 | アブストラクテス・ビルト | スキージで描く現代抽象 |
4. 技法・特徴
- 非対象性(non-objective):再現対象を持たない、または極限まで還元する画面構成。タイトルが「コンポジション」「無題」となるのが典型
- 形・色・線の自律:絵画的要素そのものが意味と感情を担う。ピクトリアル・グラマー(絵画的文法)の自己言及
- マチエール(物質性):絵具の厚塗り、ドリップ、スキージ、コラージュなど、表面の物理的状態が表現の核を担う
- 大画面化:戦後アメリカ抽象表現主義で大画面が標準化し、観者の身体を画面内に取り込む空間体験を生成する
- 幾何学抽象と叙情的抽象:モンドリアンらの幾何学的還元と、カンディンスキー・ロスコらの叙情的抽象が、抽象の二大流れを構成する
- 抽象と非対象の区別:批評理論的には「抽象」は対象から出発し還元する語、「非対象(non-objective)」は最初から対象を持たない語として区別されることがある
5. 影響と現代
抽象は 20 世紀美術の主軸であると同時に、21 世紀のグローバル・コンテンポラリーにおいても主要言語であり続けている。マーク・ブラッドフォードはアフリカ系アメリカ人の地理的・社会的記憶を抽象の表面に折り込み、ジュリー・メーレトゥは都市計画図と建築図面を抽象の階層に統合し、リン・ディンは具象的記憶痕を抽象構造に組み込む。抽象は「対象の不在」ではなく、「対象を別の仕方で現す」可塑的な言語として更新され続けている。
日本では戦後の具体美術協会、もの派、関根伸夫、李禹煥、近年の名和晃平までが、東アジア的物質観・身体観と抽象を交差させる作家系譜を形成している。
6. 関連リンク
続けて 抽象表現主義 と ミニマル 様式ハブを読むと、抽象がモダニズムからポスト・ミニマル、現代抽象へとどのように更新されてきたかを段階的に追える。