具体的な物の形を消し去り、色と線だけで成り立つ絵画。
そんな抽象絵画を最初期に描き、理論的に体系化したのが、ロシア出身の画家ワシリー・カンディンスキー(1866〜1944)です。
本人はバウハウスの教師としても活動し、20世紀美術の理論的基盤を築きました。
目次
カンディンスキーの生涯
- 1866年: モスクワに生まれる(法学者として出発)
- 1896年: 30歳でミュンヘンの美術学校に入学
- 1911年: フランツ・マルクと「青騎士(Der Blaue Reiter)」を結成
- 1922〜33年: バウハウスで教鞭を執る
- 1933年: ナチスにより退廃芸術と烙印、パリへ亡命
- 1944年: パリ郊外で没
「最初の抽象画」をめぐって
1910〜13年頃、カンディンスキーは具体的な対象を画面から消していきます。
- 転機の一つは1908年、自作の絵を逆さに置いて見たとき
「驚くほど美しい色の塊がある」と気づいたという逸話 - 「コンポジション」「インプロヴィゼーション」「インプレッション」と名付けたシリーズで、抽象を段階的に深化
- 1911年の論文「芸術における精神的なもの」で抽象絵画を理論化
音楽との結びつき
カンディンスキーは強い共感覚(色と音を結びつけて感じる感覚)を持っていました。
- シェーンベルクの無調音楽に強く影響を受け、文通も
- 「絵画は音楽のように、対象から自由になれる」と確信
- 絵のタイトルに「コンポジション」「インプロヴィゼーション」を選ぶのも音楽的姿勢
抽象絵画は、視覚を超えて感情の構造そのものを表す芸術として構想されました。
青騎士と表現主義
1911年に結成した「青騎士」は、ドイツ表現主義の重要グループです。
- フランツ・マルク、アウグスト・マッケ、パウル・クレーらが参加
- 「青」と「馬」はカンディンスキーが好んだモチーフの結合
- 同人誌『青騎士年鑑』で、児童画・民俗芸術・モダンを並列に論じる
バウハウス時代の理論
バウハウス入学後、カンディンスキーは抽象を理論として体系化します。
- 『点・線・面』(1926): 絵画の最小単位から構成を分析
- 三原色と三基本形(円・三角・四角)の対応を提唱
- 絵画の文法を、音楽理論のように分析的に扱う
代表作の整理
- コンポジションVII(1913): 抽象の極み。終末論的イメージを色のうねりで表現
- イエロー・レッド・ブルー(1925): バウハウス期、幾何形態と色の純粋構成
- コンポジションX(1939): 黒地に色彩・線が浮かぶ、晩年のパリ期
同時代の抽象画家との関係
- モンドリアン: 同じ抽象でも、幾何学的・縦横線中心
- マレーヴィチ: 黒い四角形などの絶対的単純形を追求
- カンディンスキーは三者のなかで最も「動的・音楽的」な抽象を選んだ
後世への影響
- 戦後の抽象表現主義(ポロック・ロスコら)へ精神の絵画として影響
- ミニマルアート・コンセプチュアルアートまで、抽象の正統性を支える
- 現代のサウンドアート・ヴィジュアル音楽の元祖として再評価
まとめ|カンディンスキーを読む視点
- 具象から抽象への移行を理論と実践の両面で成し遂げた
- 音楽的感性と精神性が、絵画を純粋な構成へ向かわせた
- 青騎士・バウハウスを通して、20世紀美術の知的基盤を築いた

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