パウル・クレーとは:色彩を「精神の音楽」に変えた20世紀の詩人画家
パウル・クレー(Paul Klee、1879〜1940)は、スイス・ベルン近郊で生まれ、ドイツとスイスを行き来しながら活動した 20 世紀絵画の代表的画家である。父は音楽教師、母は声楽家で、クレー自身も若い頃はヴァイオリン奏者として活動できる水準を持っていた。生涯一万点近い油彩・水彩・素描を残したが、サイズは小さく、画面の単位は「うた一つ」「即興一つ」に近い、詩的・音楽的な単位に近い。
クレーの作家活動は大きく三段階に分かれる。第一に青騎士(Der Blaue Reiter)期(1911-1914)、第二にバウハウス教師期(1921-1931)、第三に晩年のスイス帰還・ナチス迫害期(1933-1940)。これらすべての時期で、彼は抽象と具象、図と地、色と形、構造と即興のあいだを揺れながら、独自の「絵画=音楽=詩」の構築を続けた。
主要トピック:3 つの時期
青騎士期(1911-1914):チュニジアの色彩革命
1911 年、クレーはミュンヘンでヴァシリー・カンディンスキーとフランツ・マルクが結成した青騎士に参加。1914 年、アウグスト・マッケ、ルイ・モワイエとともにチュニジアを訪れた約 2 週間の旅で、クレーは「色彩と私はひとつになった。私は画家だ」と日記に記す決定的な体験をした。チュニジアの強い陽光と幾何学的な街並みが、彼の作品に色面と構造の融合をもたらした。
バウハウス期(1921-1931):理論と実作の統合
ヴァイマル(後にデッサウへ移転)のバウハウスで、クレーは形態論・色彩論を担当する教授となった。講義録は『造形思考』『教育素描』として現在も入手可能で、20 世紀美術教育の古典文献となっている。同時期、自身の創作では「セネシオ」(1922)「赤い気球」(1922)「魚の魔術」(1925)などの代表作を制作した。
晩年(1931-1940):強皮症と「天使」連作
1933 年、ナチスがクレーを「退廃芸術家」と認定し、デュッセルドルフの教授職を罷免。スイス・ベルンに帰還した。1935 年から強皮症(硬皮症)を発症し、皮膚と内臓が硬化する不治の病に侵されながら、晩年の 5 年間で約 2,500 点という驚異的な制作を続けた。「天使」連作(約 50 点)は晩年の代表作群で、線描の単純さと深い哀悼が同居する独特の作品群となった。
代表作・代表事例
| 作品名 | 制作年 | 形式 | 所蔵 |
|---|---|---|---|
| セネシオ(老人) | 1922 | 油彩・板 | バーゼル市立美術館 |
| 赤い気球 | 1922 | 油彩・チョーク・ガーゼ・板 | グッゲンハイム美術館(NY) |
| 魚の魔術 | 1925 | 油彩・水彩・キャンバスを板に | フィラデルフィア美術館 |
| ツィッタ・ロッサ(赤いフーガ) | 1921 | 水彩・転写 | ベルン美術館 |
| 新しい天使(Angelus Novus) | 1920 | 油彩転写・水彩・紙 | イスラエル博物館 |
| パルナッソス山にて | 1932 | 油彩・キャンバス | ベルン美術館 |
| 死と火 | 1940 | 油彩・麻布 | ベルン美術館 |
| カイルアン風 | 1914 | 水彩・紙 | ベルン美術館 |
技法・特徴
- 「線が散歩に出かける」:クレーの有名な定義「描画とは、線を散歩に連れ出すことである」(『教育素描』)。線そのものが時間と運動を持ち、画面を自由に巡る。
- 多様なメディウム:油彩・水彩・グワッシュ・チョーク・転写・コラージュ・モノタイプ・ガーゼ・麻布・新聞紙までを実験的に組み合わせる。
- 音楽との同期:「ポリフォニー」「フーガ」「カノン」など音楽用語を作品題名に使い、画面を時間芸術として構築する。「ツィッタ・ロッサ(赤いフーガ)」は色面の重なりを音楽の声部として組織化した代表例。
- 子どもの絵・原始美術への眼差し:子どもの落書き、精神病者の絵、北アフリカ・オセアニアの原始美術を積極的に研究し、近代芸術の「素朴な根源」へ立ち返る方向を打ち出した。
- 小ぶりなサイズ:多くは 30〜50 cm 角の小品で、観者は近づいて作品と一対一で向き合う必要がある。これは大画面の絵画の英雄主義に対するクレー独自の対案。
歴史的文脈:青騎士・バウハウス・ナチズム
クレーは 20 世紀前半のヨーロッパ絵画のほぼすべての主要運動と交差した稀有な作家である。青騎士でカンディンスキーと並走、バウハウスでモンドリアン系の構成主義と対話、フランスではシュルレアリストたち(特にマックス・エルンスト)と親交した。1933 年、ナチスがクレーの作品 102 点を「退廃芸術」として没収・売却し、1937 年ミュンヘンで開催された「退廃芸術展」では 17 点が展示・嘲笑された。それでも晩年のスイスで彼は怒りや絶望をストレートに表現せず、むしろ天使と仮面と線によって、世界の暴力を一旦観想に変換する独自の沈黙の絵画を生み続けた。これは戦後ヴァルター・ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」の「新しい天使(Angelus Novus)」(クレー作)の引用を通じて、20 世紀思想史の象徴的イメージとなった。
影響・後世
- ベンヤミン「新しい天使」:1921 年クレー作の小品をベンヤミンが個人所蔵し、「歴史哲学テーゼ」第 9 番で「歴史の天使」のイメージとして引用。20 世紀後半の哲学・歴史記述の根本的隠喩となった。
- 戦後抽象絵画:戦後ヨーロッパの抽象絵画、アンフォルメル、コブラ、ル・コルビュジエの絵画など多様な系譜にクレーの影響が及んだ。
- 絵本・グラフィック:エリック・カール、レオ・レオニ、長新太など 20 世紀児童絵本作家にクレーの「線・色・余白」の感覚が広く参照されている。
- ベルン・パウル・クレー・センター:2005 年、レンゾ・ピアノ設計でクレーの故地ベルンに開館。世界最大のクレー・コレクション(約 4,000 点)を擁する。
- 日本での受容:戦後の日本では、駒井哲郎・浜田知明・難波田龍起ら抽象画家がクレーを直接参照し、宇佐美圭司・横尾忠則ら現代美術家も影響を語る。
クレーと音楽:絵画は時間芸術
クレーの父はベルン市立学校の音楽教師、母は声楽家、妻リリー(1906 婚)はピアニストで、生涯ヴァイオリンの腕前を保ち、しばしば公開演奏会も開いた。彼にとって絵画は決して視覚芸術に閉じたものではなく、音楽と同じく「時間の中で展開する経験」として捉えられた。「絵画は基本的に多声的(polyphonic)である。音楽はこの点でつねに先行している」(『造形思考』)と書き、フーガ・カノン・即興・対位法といった音楽用語を画題と画面構造に直接投影した。ヨハン・セバスチャン・バッハとモーツァルトを生涯の理想と仰ぎ、彼自身のヴァイオリン演奏は妻リリーの伴奏とともに二人の重要な日常的時間でもあった。代表作「赤いフーガ(ツィッタ・ロッサ)」(1921)は、色面を音楽の声部のように重ね合わせ、画面そのものを聴覚的に経験させる試み。20 世紀の絵画は、塞ぎがちな個人の視覚芸術として閉じる方向と、共鳴的な時間芸術として広がる方向の二つに分岐したが、クレーは後者を最も体系的に追求した存在として、後世のステュアート・デイヴィス、ケニー・スコブニック、現代日本のサウンドアート系作家にまで影響を残し続けている。
『造形思考』とバウハウス教育
クレーがバウハウスで行った講義は、彼の死後『Pädagogisches Skizzenbuch(教育素描)』『Bildnerisches Denken(造形思考)』としてまとめられた。これらは 20 世紀美術教育のもっとも体系的な原理書とされ、点・線・面・色・形・運動・空間といった造形要素を、ほぼ自然科学のように分析する独自の方法論を示している。同時期、バウハウスのカンディンスキーも「点・線・面」の理論書を刊行しており、両者の理論はバウハウス教育の二大柱となった。クレーの理論の特徴は、形態を静的な構造ではなく「運動の軌跡」「成長のプロセス」として捉える生命論的視点で、これは植物学・動物学・物理学への深い興味と一体化している。今日も世界の美術大学で講義の参考文献として読まれ続けている。
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続けてカンディンスキーを読むと、青騎士の二大作家(クレーとカンディンスキー)が、それぞれどのような方向で抽象に踏み込んだかが対照的に理解できる。
