表現主義とは:客観の再現を捨て、内面を画面に直接投影する
表現主義(Expressionism)は、20 世紀初頭、特にドイツ語圏を中心に展開した絵画・彫刻・建築・文学・演劇・映画にわたる広い運動である。狭義の「ドイツ表現主義」は ブリュッケ(橋) と「青騎士(Der Blaue Reiter)」という二つのグループを軸に、1905〜1920 年代に集団活動を行った画家たちの総称を指す。
共通するのは、客観的な「見える世界」を再現するのではなく、不安・恐怖・歓喜・宗教性といった内面の状態を、誇張された色彩・歪んだ形態・激しい筆致によって画面に直接投影する姿勢である。フォーヴィスムが地中海的な「歓び」へ向かったのに対し、表現主義は近代都市と戦争前夜の「不安」を主題化したという対比でしばしば語られる。
主要トピック:二つのグループと先駆者
先駆者:ムンク、アンソール、ホドラー
表現主義の前史として、北欧・低地諸国の象徴主義系画家が決定的な役割を果たした。エドヴァルド・ムンク「叫び」(1893)、ジェームズ・アンソールの仮面の群衆、フェルディナント・ホドラーの平行構成は、いずれも「世紀末の不安」を内面表現として絵画化した先例だった。
ブリュッケ(Die Brücke、1905〜1913)
1905 年ドレスデンで結成。エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー、エーリヒ・ヘッケル、カール・シュミット=ロットルフ、エミール・ノルデ(短期参加)。木版画を多用し、太い輪郭・原色・尖った形態でベルリンの都市生活と裸婦を描いた。1911 年にベルリンへ拠点を移し、第一次大戦の影で 1913 年に解散した。
青騎士(Der Blaue Reiter、1911〜1914)
1911 年ミュンヘンでヴァシリー・カンディンスキーとフランツ・マルクが結成。パウル・クレー、アウグスト・マッケ、ガブリエレ・ミュンター、マリアンネ・フォン・ヴェレフキンが参加。色と形を音楽的・精神的に扱い、抽象絵画への道を開いた。1914 年の第一次大戦勃発で解散し、マルクとマッケは戦死した。
代表作・代表事例
| 作家 | 代表作 | 制作年 | 所蔵 |
|---|---|---|---|
| エドヴァルド・ムンク | 叫び | 1893 | オスロ国立美術館 ほか |
| エルンスト・L・キルヒナー | ベルリンの街頭 | 1913 | ノイエ・ナツィオナルガレリー(ベルリン) |
| エーリヒ・ヘッケル | 水浴の人々 | 1912-1913 | ブリュッケ美術館 |
| エミール・ノルデ | 最後の晩餐 | 1909 | ノルデ財団 ゼービュル |
| ヴァシリー・カンディンスキー | コンポジション VII | 1913 | トレチャコフ美術館 |
| フランツ・マルク | 青い馬 I | 1911 | レンバッハハウス(ミュンヘン) |
| パウル・クレー | セネシオ | 1922 | バーゼル市立美術館 |
| オットー・ディックス | 大都会三連画 | 1927-1928 | シュトゥットガルト美術館 |
技法・特徴
- 木版画の復権:ブリュッケのメンバーは木版画を「中世の民衆芸術」として再発見し、ナイフで荒々しく彫った木版を表現主義の象徴的メディアにした。
- 非自然主義的色彩:人物の顔を緑や紫に塗る、空を血のような赤にするなど、色を心理状態の指標として扱う。
- 形態の歪曲:遠近法を意図的に崩し、人物のプロポーションを引き伸ばす/圧縮することで、内面の緊張を画面に翻訳する。
- 原始美術・民俗美術への参照:アフリカ・オセアニア彫刻、中世ドイツ木版、子どもの絵、精神病者の絵など、アカデミックな西洋伝統の外側にある造形を積極的に参照した。
- ジャンル横断:絵画だけでなく、ロベルト・ヴィーネ「カリガリ博士」、フリッツ・ラング「メトロポリス」など映画、エルンスト・トラーら表現主義演劇、シェーンベルクの無調音楽と並走した。
主要メンバーと活動拠点
| グループ | 主要メンバー | 活動年 | 拠点 |
|---|---|---|---|
| ブリュッケ(橋) | キルヒナー、ヘッケル、シュミット=ロットルフ、ペヒシュタイン、ノルデ | 1905-1913 | ドレスデン → ベルリン |
| 青騎士(Der Blaue Reiter) | カンディンスキー、マルク、クレー、マッケ、ミュンター、ヴェレフキン | 1911-1914 | ミュンヘン |
| 新即物主義(戦後) | ディックス、グロス、ベックマン | 1920-1933 | ベルリン、ドレスデン |
| ウィーン分離派(隣接) | シーレ、ココシュカ | 1907-1918 | ウィーン |
歴史的文脈:戦争・都市・退廃芸術
表現主義は、第一次大戦前夜のヴィルヘルム期ドイツの不安定な空気と、急速に拡大したベルリン・ミュンヘンの都市文化の中で形成された。1914 年の戦争勃発が運動の前半を断ち切り、戦後(ヴァイマル期)にはオットー・ディックス、ジョージ・グロスらが社会批評と結びついた「新即物主義」に展開した。1933 年、ナチスが政権を獲得すると、表現主義は「退廃芸術(Entartete Kunst)」と断罪され、1937 年の有名なミュンヘン展覧会で多くの作品が嘲笑の対象として展示されたのち、美術館から押収・売却・破壊された。多くの作家が亡命し、運動は地理的に拡散していった。
影響・後世
- 抽象絵画:青騎士派からカンディンスキーの抽象へ直結し、20 世紀抽象絵画の二大源流(ロシアのシュプレマティスム、ドイツの精神的抽象)を形成した。
- 抽象表現主義:戦後アメリカの抽象表現主義は、表現主義の「内面の直接表現」を受け継ぎつつ大画面化した。
- 新表現主義:1980 年前後、ゲオルク・バゼリッツ、アンゼルム・キーファー、ヨルク・インメンドルフらドイツの「新表現主義」が、戦後ドイツのアイデンティティ問題と表現主義を再接続した。
- 映画・グラフィック:表現主義映画の歪んだセットと強いコントラストは、フィルム・ノワール、ティム・バートンの映像、現代のホラー映画にまで反復されている。
表現主義を読むための鍵語
- 退廃芸術(Entartete Kunst):1937 年、ナチスがミュンヘンで開いた展覧会の名称。現代美術を「退廃」と断罪し、約 16,000 点を美術館から押収・売却・破壊した。表現主義作家のほぼ全員が標的となった。
- 新即物主義(Neue Sachlichkeit):1920 年代、表現主義の感情過剰への反動として、戦争と社会の現実を冷静な観察眼で描く動きが起こる。オットー・ディックスの『大都会三連画』(1927-28)が代表。
- ウィーン分離派・シーレ:エゴン・シーレ、オスカー・ココシュカは、ドイツ表現主義と並走する形で、官能と死の主題を尖鋭化した。クリムトの装飾性とは対照的な、骨ばった裸体像で知られる。
- 「精神的なるもの(das Geistige)」:カンディンスキーの著作『芸術における精神的なるもの』(1912)が運動の理論的支柱。物質的世界の背後にある精神性を、抽象によって直接表現するという立場。
- 表現主義映画:ロベルト・ヴィーネ「カリガリ博士」(1920)、フリッツ・ラング「メトロポリス」(1927)、F・W・ムルナウ「ノスフェラトゥ」(1922)。極端なコントラスト・歪んだセットが視覚言語となり、ハリウッドのフィルム・ノワールへ継承された。
- ブリュッケ美術館:1967 年ベルリン・ダーレム地区に開館。シュミット=ロットルフの寄贈を母体に、ブリュッケの主要作家を体系的に収蔵する世界唯一の専門館。
関連記事
- ドイツ表現主義|「橋」派と「青騎士」が描いた20世紀初頭の不安と精神性
- ムンク「叫び」を読み解く|不安の象徴と象徴主義の到達点
- カンディンスキーと抽象絵画の起源|色と音楽が出会う場所
- カテゴリ:近代西洋 20 世紀前半
- タグ:フォーヴィスム
続けてムンク「叫び」を読むと、表現主義が始まる前夜の「世紀末の不安」がどのように一枚の絵に凝縮されたかが分かる。
