戦争と美術:国策美術・戦争記録画|「アッツ島玉砕」から GHQ 接収まで、美術と戦争の交錯
戦争と美術、国策美術、戦争記録画とは、日中戦争(1937–1945)と太平洋戦争(1941–1945)の戦時下に、日本政府・陸海軍の主導で制作・展示された美術作品群を指します。
陸海軍の嘱託として現地に派遣された画家たちは、戦地の戦闘・行軍・占領場面を 歴史画 として大画面に描き、「聖戦美術展」「大東亜戦争美術展」などで国民の戦意高揚に動員されました。
戦後、GHQ により 153 点の戦争記録画が接収され、1970 年代に米国から「無期限貸与」として日本に返還。現在は 東京国立近代美術館が一括管理しています。これらの作品は、近代日本美術の最も困難な遺産として、戦争責任・美術と政治の関係を問い続ける主題です。
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戦争画の年表
| 年 |
事項 |
| 1937 |
日中戦争勃発(盧溝橋事件)。藤田嗣治 ら陸軍嘱託として中国戦線へ |
| 1939 |
第 1 回「聖戦美術展」開催(陸軍美術協会主催) |
| 1941 |
太平洋戦争開戦。シュルレアリスム事件で前衛画家検挙 |
| 1942 |
「大東亜戦争美術展」開催 |
| 1943 |
藤田「アッツ島玉砕」発表 |
| 1944 |
「戦時特別文展」、文展は戦争画一色に |
| 1945 |
敗戦。8 月以降、戦争画は急速に隠匿・破棄 |
| 1946 |
GHQ が戦争記録画 153 点を接収 |
| 1949 |
藤田再渡仏。戦争画家たちの戦争責任議論 |
| 1970 |
GHQ 接収戦争画 153 点、米国から「無期限貸与」で返還 |
| 1977 |
東京国立近代美術館「戦争画展」 |
| 1995 |
「戦後 50 年と日本の美術」展で総合再評価 |
戦争画の制度的展開
- 1937 年陸軍美術協会発足、藤田嗣治会長
- 1939 年「聖戦美術展」第 1 回開催、東京府美術館
- 1941 年陸軍美術協会と大日本航空美術協会合同
- 陸海軍嘱託として画家を戦地に派遣(「美術部隊」)
- 軍部から画家への 命題作画制度
- 1942 年「大東亜戦争美術展」、戦争画の総合動員
- 1944 年文展は事実上戦争画展に
戦争記録画の主題
- 陸戦:南京攻略、シンガポール陥落、ガダルカナル、アッツ島
- 海戦:真珠湾、ミッドウェー、レイテ沖
- 空戦:航空戦闘、特攻
- 占領・宣撫:中国・南方の現地住民との交流
- 後方:軍需工場、勤労動員、皇室の戦時活動
- 玉砕:守備兵の全滅を悲劇的に描く
藤田嗣治「アッツ島玉砕」(1943)
- キャンバスに油彩、193.5 × 259.5cm
- 1943 年 5 月のアッツ島(アリューシャン列島)守備隊全滅を主題
- 暗褐色の戦場、肉弾戦の人体が複雑に折り重なる
- 暗部から光が漏れる重厚な明暗
- 戦争画の最高峰として戦時下から評価
- 戦後 GHQ 接収、現・東京国立近代美術館
- 戦争責任議論の中心作品
宮本三郎の戦争画
- 「山下、パーシバル両司令官会見図」(1942)
- 1942 年シンガポール陥落時の山下奉文・パーシバル英軍司令官会見場面
- キャンバスに油彩、180.7 × 226.5cm
- 古典的群像構図、ベラスケス「ブレダ開城」を想起
- 戦勝記念の代表的記録画
- 東京国立近代美術館所蔵
小磯良平の戦争画
- 「皇后陛下行啓御写生」(1943)
- 「娘子関を征く」(1941):日中戦争の進軍場面
- 古典的群像表現、新写実主義的構成
- 戦争画も小磯らしい人物描写の精緻さ
- 戦後は皇室肖像画も担当、戦争画の遺産を抱えつつ活動継続
主要戦争画家と代表作
| 画家 |
所属 |
代表作 |
| 藤田嗣治 |
陸軍 |
「アッツ島玉砕」「サイパン島同胞臣節を全うす」 |
| 宮本三郎 |
陸軍 |
「山下、パーシバル両司令官会見図」 |
| 小磯良平 |
陸軍 |
「娘子関を征く」「皇后陛下行啓御写生」 |
| 清水登之 |
陸軍 |
「砲弾下を行く」 |
| 伊原宇三郎 |
陸軍 |
「ロンドン爆撃」「特別攻撃隊」 |
| 向井潤吉 |
陸軍 |
「影」「ブキテマ高地」 |
| 石川寅治 |
海軍 |
「マレー沖海戦」 |
| 福沢一郎 |
陸軍 |
「敵機切迫す」 |
| 横山大観 |
日本画 |
「日出処日本」、富士山の精神的象徴 |
日本画と戦争
- 横山大観:「日出処日本」「神州不滅」など富士山の象徴
- 富士山=皇国=神州不滅の思想的シンボル
- 横山大観は戦時中、大日本航空美術協会会長
- 川端龍子、堂本印象、安田靫彦も戦時下の歴史画
- 日本画は西洋的戦闘場面より、神話・精神性で戦争に貢献
- 洋画の写実的戦闘画と日本画の象徴画は補完関係
聖戦美術展と大東亜戦争美術展
- 1939 年第 1 回「聖戦美術展」、東京・大阪を巡回
- 1941 年第 2 回、1942 年第 3 回
- 1943 年「大東亜戦争美術展」(陸軍美術協会・朝日新聞社主催)
- 東京・大阪・京都・名古屋・福岡を巡回、入場者総計 100 万人超
- 戦争画の 国民動員装置として機能
- 入場料収入は軍費献納
美術界の戦争協力体制
- 1943 年「美術報国会」結成、横山大観会長
- 美術団体の戦争協力統合組織
- 美術行政・展覧会・教育の全面動員
- 制作命題・献納・慰問の体系化
- 1944 年「戦時特別文展」で美術界の総力結集
- 1945 年敗戦で組織解体
GHQ 接収と戦後返還
- 1946 年、GHQ 民間情報教育局(CIE)が戦争記録画 153 点を接収
- 当初は焼却説もあったが、米国本土に輸送
- 米国国立美術館に保管
- 1970 年、日米の交渉を経て「無期限貸与」として日本に返還
- 東京国立近代美術館が一括受領・管理
- 厳重な公開制限の対象として保管
戦争画の公開問題
- 1970 年代まで公開ほぼ不可能
- 1977 年「戦争記録画」展で部分公開、議論再燃
- 1995 年「戦後 50 年と日本の美術」展で総合公開
- 近年は学術展で時々公開、画家別個展でも公開事例
- 2015 年「藤田嗣治、全所蔵作品展示」で藤田の戦争画全公開
- 美術館内での 「常設展示」は現在も慎重
戦争責任議論
- 1945 年敗戦直後、戦争画家への批判噴出
- 1946 年宮田重雄「美術家の戦争責任」(『新美術』):藤田批判
- 藤田嗣治は 1949 年再渡仏、戦争責任の象徴化
- 他の戦争画家は戦後沈黙、徐々に活動再開
- 1970 年代、戦争画返還で議論再燃
- 近年:戦争画家を 単純な戦犯とせず、時代の集合的経験として再評価
戦争画と現代日本
- 戦争画は戦後日本の集合的トラウマ
- 公開の是非は美術と倫理の交点として議論継続
- 歴史教育・平和教育の素材としての価値
- 近年は戦争画を含めた個別作家の総合評価が定着
- 韓国・中国の歴史認識と日本の戦争画展示の関係
- 美術館の戦争画展示は政治的判断と結合
戦争画とプロパガンダ美術の国際比較
- ナチスドイツ:アーリア人理想美、退廃芸術展(1937)
- ソ連:社会主義リアリズム、スターリン肖像画
- 米国:ノーマン・ロックウェル「四つの自由」
- イタリア:ファシスト美術、ノヴェチェント
- 日本:写実的戦闘画+日本画の象徴主義
- 各国のプロパガンダ美術は様式と主題で類似
近年の研究と展示
- 1995 年「戦後 50 年と日本の美術」展(東京国立近代美術館)
- 2005 年「揺らぐ近代」展
- 2015 年「藤田嗣治、全所蔵作品展示」
- 2018 年「美術と戦争」シンポジウム多数
- 河田明久『画家と戦争 : 日本美術史の空白』(2014)
- 針生一郎ら『戦争と美術』論集
戦争画と日本美術史の空白
- 戦後長らく戦争画は美術史教科書から欠落
- 1990 年代以降、戦争画を含めた近代日本美術史の書き直し
- 東京国立近代美術館の常設展でも戦争画を慎重に展示
- 戦争画は美術と政治、芸術と倫理の境界を問う
- 美術史の 「空白」を埋める研究が継続
主要研究文献
- 針生一郎『戦争と美術 1937-1945』(2007)
- 河田明久『画家と戦争 : 日本美術史の空白』(2014)
- 蔵屋美香「戦争記録画」論文(東京国立近代美術館研究紀要)
- 『美術手帖』『藝術新潮』の戦争画特集
- 東京国立近代美術館の戦争画関連カタログ
まとめ|戦争と美術を読む視点
- 1937–1945 年の戦時下、画家たちは陸海軍嘱託として戦争画を制作
- 藤田「アッツ島玉砕」、宮本「山下・パーシバル会見」、小磯「娘子関を征く」が代表
- 聖戦美術展・大東亜戦争美術展で国民動員装置として機能
- 戦後 GHQ 接収、1970 年返還、東京国立近代美術館が管理
- 戦争責任議論は現在も継続、近代日本美術史の最重要主題
あわせて 戦前・戦中昭和美術の流れ や 藤田嗣治 を読むと、戦争画家の個別の軌跡と戦争画の集合的意味が立体的に見えてきます。
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