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もの派とは:1968-1970 年に東京で起こった戦後日本最重要のアヴァンギャルド運動

もの派(Mono-ha、英語表記 Mono-ha は 1990 年代以降の海外定着)は、1968 年から 1970 年代前半にかけて東京で展開した、戦後日本美術の中心的アヴァンギャルド運動である。関根伸夫「位相—大地」(1968 年 11 月、神戸・須磨離宮公園、第 1 回現代日本野外彫刻展)が運動の起点とされ、これは地面に直径 2.2 m・深さ 2.7 m の円柱状の穴を掘り、掘り出した土を隣に同じ寸法の円柱として積み上げた作品である。

「もの派」という呼称は、当初は批評家・峯村敏明が用いた造語で、当事者たちは初め反発したが、1970 年代以降に運動の名称として定着した。中心メンバーは、関根伸夫(1942-2019)、李禹煥(イ・ウファン、1936-、韓国出身)、菅木志雄(1944-)、吉田克朗(1943-1999)、本田眞吾(1942-2009)、成田克彦(1944-1992)、小清水漸(1944-)、榎倉康二(1942-1995)、原口典之(1946-2020)、高山登(1944-2021)ら、多摩美術大学・東京藝術大学を中心とする若い作家たち。

主要トピック:「ものを置く」という最小限の介入

関根伸夫「位相—大地」(1968)

運動の出発点となったランドアートで、「同じ体積の土を、地面に空けた穴と、その隣に積み上げた円柱として、同時に提示する」という、極めて単純な操作で「もの」と「場所」と「空間」の関係そのものを可視化した作品。彫刻でも絵画でもなく、地面と土塊が、それまでの美術史の語彙では掬えない仕方で「作品」として立ち現れた。

李禹煥の理論

韓国出身で日本大学哲学科で学んだ李禹煥は、もの派の理論的指導者となった。彼は雑誌『美術手帖』『SD』に「事物の世界」「出会いの現象学」(1969-1971)といった重要論考を寄稿し、「作品とは、ものとものの関係(関係項)を提示することである」と論じた。これはマルティン・ハイデガー、メルロ=ポンティ、西田幾多郎の哲学の流れを引きつつ、東洋思想(禅・道家)からも栄養を得た独自の現象学的美術論である。

「ものを置く」最小限の介入

もの派の作品は、石・木・鉄板・ガラス・紙・綿といった無加工の素材を、ほぼ無加工のままに空間に配置することで成立する。李禹煥「関係項」シリーズは、石とガラスを並置するだけ。菅木志雄は石と銅板の組み合わせ、関根は鉄板と石。これは欧米のミニマリズム(ミニマリズム)と同時代に、独立に到達した「最小限の介入」の戦後日本版である。

代表作家と代表作

作家生没代表作・代表シリーズ
関根伸夫1942-2019位相—大地(1968)/ 空相シリーズ
李禹煥1936-関係項(1968-)/ 線より、点より
菅木志雄1944-状況論的なオブジェ群 / 結叙
吉田克朗1943-1999Cut-off / 触のシリーズ
本田眞吾1942-2009パーソナル・スティーブン
成田克彦1944-1992SUMI(炭の連作)
小清水漸1944-かみ・木・石
榎倉康二1942-1995シミ・布のシリーズ
原口典之1946-2020OIL POOL(廃油プール)
高山登1944-2021枕木による空間構成

技法・特徴

  • 無加工素材の使用:採石場から切り出されたままの石、製材所の木材、工業用鉄板、新聞紙、綿。これらに切断・組み合わせ・配置以外の加工を施さず、素材そのものを「もの」として提示する。
  • 関係項としての作品:李禹煥が定式化した概念で、「作品」とは個別の「もの」ではなく、複数の「もの」の間に立ち上がる関係そのものを指す。これは作品の固有性と複製不可能性を、所有可能なオブジェクトから「場の関係」へとずらす重要な転換であった。
  • 場所性:もの派の作品は特定の場所に置かれることで成立し、別の場所に移すと別の作品になる。これは欧米のサイト・スペシフィック・アートと同時代に独立に到達した感覚。
  • 身体・知覚との関わり:李禹煥の論考は「作品の前で、観者の知覚がいかに開かれるか」を主題化する。これは戦後現象学・東洋思想の影響下で構築された、独自の鑑賞理論。
  • 無時間性:もの派は素材の経年変化や日常的時間を作品に組み込むことが多く、これは作品を「永遠の傑作」として固定する西洋近代美術の前提を破壊する戦略でもあった。

歴史的文脈:1968 年と東京

もの派の誕生年 1968 年は、世界的に「1968 年革命」の年で、東京でも東京大学・日本大学を中心に学生運動が高揚していた。関根の「位相—大地」が発表された 11 月は、大学紛争のピークに重なる。もの派の作家の多くは多摩美術大学・東京藝術大学・日本大学芸術学部の学生・卒業生で、政治的活動と作家活動を並走させていた。「ものをそのまま置く」という最小限の介入は、商品化された美術市場・抽象表現主義的な「絵画の英雄主義」・既存の制度的アート世界に対する、政治的でもある拒絶の身振りでもあった。日本国内では 具体美術協会(1954-1972、関西)が同時代に活動を続けていたが、もの派は東京を拠点とし、関係性・現象学・素材論を理論的に組織化した点で、戦後日本美術の批評的成熟を象徴する運動となった。

1970 年「人間と物質」展ともの派の理論的結晶

1970 年に東京国立近代美術館で開催された「第 10 回日本国際美術展(東京ビエンナーレ)人間と物質」展は、もの派が国内外の批評・アート界に対して理論的に組織化された姿で提示された画期的な企画である。キュレーターは批評家・中原佑介で、海外からはダニエル・ビュレン、リチャード・セラ、カール・アンドレ、ヤニス・クネリス、ヨーゼフ・ボイス、マリオ・メルツら欧米の同時代前衛作家、日本側からは関根伸夫、李禹煥、菅木志雄、吉田克朗、小清水漸らもの派の主要メンバーが参加した。展覧会は東京・京都・名古屋・福岡を巡回し、欧米のミニマリズム・アルテ・ポーヴェラ・コンセプチュアル・アートと、日本のもの派が並列展示される世界的な機会となった。これにより、もの派は「東洋から世界に向けて発信される独自の現代美術運動」として国際批評の認知を獲得し、その後の海外回顧展(2012 年ロサンゼルスなど)の基盤が形成された。

影響・後世

  • 1980 年代以降の海外進出:1986 年ロンドン「Reconstructions: Avant-garde Art in Japan 1945-1965」、1994 年「Japon des Avant-gardes 1910-1970」(ポンピドゥー・センター)など、欧米主要美術館で具体・もの派・実験工房が一括して紹介された。
  • 李禹煥の国際的展開:李は 2011 年グッゲンハイム美術館(NY)で大規模個展、2014 年ヴェルサイユ宮殿で個展、2019 年フランス・アルル「Lee Ufan Arles」開館、2022 年「李禹煥美術館」(直島)開館を果たし、現代美術の世界的巨匠の一人となった。
  • 菅木志雄の継続的活動:菅は今日まで現役作家として活動を続け、2014 年「菅木志雄」(東京都現代美術館)、2017 年「Susumu Koshimizu」(NY ヴァーセイユ・スカイ画廊)など、もの派の現代的更新を担う。
  • 後続世代:千住博、内藤礼、宮島達男、塩田千春らが、もの派の素材論・場所論を独自に展開している。
  • 2012 年「Requiem for the Sun: The Art of Mono-ha」展:ロサンゼルス・ブラム&ポー画廊で開催、欧米のもの派受容の決定的瞬間となった。

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続けてミニマリズムの哲学と実践を読むと、欧米と日本がほぼ同時期に独立に到達した「最小限の介入」が、それぞれ異なる思想的根拠でどう成立したかが対照的に分かる。

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