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シュルレアリスムとは:無意識を芸術にする運動

シュルレアリスム(Surréalisme, 超現実主義)は、1924年のアンドレ・ブルトン「シュルレアリスム宣言」によって始まった、20世紀最大の前衛運動の一つである。第一次世界大戦の破壊とダダの徹底した否定の後、フロイトの精神分析と無意識の理論を出発点にして、合理主義を超えた「もうひとつの現実」を芸術の領域に呼び込もうとした。

運動名はギヨーム・アポリネールの戯曲『ティレジアスの乳房』(1917)の副題「サュル・レアリスト劇」に由来する。「現実の上にある」「現実を超えた」という意味である。

ブルトンの「シュルレアリスム宣言」(1924)の核

シュルレアリスムをブルトンは次のように定義した。「純粋な精神の自動現象であって、それによって人は口頭または書記、その他あらゆる方法を用いて思考の真の働きを表現しようとする。理性のいっさいの統制を欠き、いっさいの美的・道徳的関心の外で行われる思考の書きとり」。これが「自動記述(オートマティスム)」と呼ばれる方法である。

シュルレアリスムの探求対象は次の4つに集約される。

  • :フロイトの夢解釈を基礎に、夢のイメージを画面化する
  • 無意識:理性の統制を解いた自動記述・自動描画
  • 愛と欲望:エロスを至上の創造原理とする
  • 狂気と原始:精神病者・子ども・未開民族の表現を解放のモデルとする

絵画のシュルレアリスム:2 つの方向

系統代表画家方法
具象的・夢のイメージ系ダリ、マグリット、エルンスト、デルヴォー、タンギー写実的な手法で不可能な情景を描く。「白昼夢の精密描写」
抽象的・自動記述系ミロ、マッソン、アルプ、マッタ偶然・偏執狂・素材の流れに任せた抽象的形態

主要な画家たち

サルバドール・ダリ

ダリはスペイン・カタルーニャ出身。「批評的偏執狂的方法」と自ら名付けた手法で、写実的な技法を駆使して狂気の論理を画面化した。「記憶の固執」(1931、MoMA)の溶ける時計はシュルレアリスムの代名詞となった。1939年にブルトンとの政治的対立で運動から除名されるが、その後も独自路線で制作を続けた。

ルネ・マグリット

マグリットはベルギー出身。日常的なオブジェの組み合わせを変えるだけで、現実を異化する手法を確立した。「これはパイプではない」(1929)は言葉と絵画の関係を問い、20世紀後半のコンセプチュアル・アートと記号論に決定的な影響を与えた。

マックス・エルンスト

ドイツ出身。フロッタージュ(こすり出し)、グラッタージュ(削り出し)、デカルコマニー(転写)など、偶然性を組み込んだ技法を発明した。コラージュ小説『百頭女』はシュルレアリスム文学の傑作。

ジョアン・ミロ

カタルーニャ出身。星・鳥・女性・記号化された生命を、明るい色面と黒い線で組み合わせる詩的な抽象を確立した。「絵画の暗殺」を宣言し、絵画の物質性を解体した。

マルセル・デュシャン

正式メンバーではないが、デュシャンのレディメイド(既製品をオブジェに転換する手法)はシュルレアリスムの精神的源泉とされ、運動展示の構成にも度々関わった。

方法論:偶然と組み合わせ

  • 自動記述(オートマティスム):理性を介さず、手の動くままに書く・描く。
  • 優美な屍体(カダーヴル・エクスキ):複数人が紙を折り隠して順に描き、最後に開く集合制作。
  • 異質なものの遭遇:ロートレアモンの「解剖台のミシンと雨傘の偶然の出会いのように美しい」が運動のモットーとなった。
  • 夢日記:見た夢を起床直後に詳細に書き留め、絵画化する。

政治と運動の歴史

1929年にブルトンは「第二宣言」でシュルレアリスムの政治化を進め、1932年にフランス共産党と接近する。しかしスターリン主義への批判から1930年代後半にはトロツキー主義に近づく。第二次世界大戦中、ブルトン、エルンスト、マッソン、デュシャンら多くがニューヨークへ亡命し、戦後のアメリカで抽象表現主義誕生の触媒となった。

後世への影響

  • 戦後アメリカの抽象表現主義(ポロック、ローゼンバーグ、マッタら経由)
  • ポップアート(マグリット的な日常オブジェの異化を継承)
  • 映画(ブニュエル、リンチ、フェリーニ)
  • 広告・モード・グラフィックデザイン全般
  • ラテンアメリカのマジックリアリズム文学(ガルシア=マルケス、ボルヘス)

シュルレアリスム文学・映画・写真

シュルレアリスムは絵画運動と捉えられがちだが、出発点は文学運動だった。アンドレ・ブルトン、ルイ・アラゴン、ポール・エリュアール、フィリップ・スーポー、ロベール・デスノスらは、自動記述による詩・小説・批評を発表した。アラゴン『パリの農夫』、ブルトン『ナジャ』、エリュアール詩集は文学史の重要作品である。

映画ではルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリの共作『アンダルシアの犬』(1929)と『黄金時代』(1930)が運動の代表作となった。眼球を剃刀で切るオープニングシーンは、観客の合理的視覚を切断する宣言であった。後にブニュエルはメキシコ・スペインで独自の作家として大成する。

写真ではマン・レイの「レイヨグラム」(カメラを使わずに印画紙上に物体を置く技法)、ハンス・ベルメールの分解された人形、クロード・カアンのジェンダーを攪乱する自画像、ブラッサイの夜のパリ写真などが運動の重要な達成である。これらは後の概念写真・フェミニズム写真の先駆となった。

シュルレアリスム展覧会の歴史

シュルレアリスムは展覧会そのものを表現の場とし、空間を設計する試みでも先駆的だった。

  • 1925年:パリ・ピエール画廊「最初のシュルレアリスム絵画展」。エルンスト、マッソン、ミロ、ピカソ、マン・レイら参加。
  • 1936年:ロンドン国際シュルレアリスム展(バーリントン画廊)。英語圏に運動を広く紹介。
  • 1936年:ニューヨーク近代美術館「ファンタスティック・アート、ダダ、シュルレアリスム」展。アメリカでの受容の出発点。
  • 1938年:パリ国際シュルレアリスム展。デュシャンの「1,200袋の石炭」天井装飾、ダリの「雨タクシー」など、空間そのものを作品化した展示。
  • 1942年:ニューヨーク「シュルレアリスムの最初の文書」展。デュシャンが「16マイルの紐」で会場を覆い尽くす演出。

シュルレアリスムと女性アーティスト

運動の中心は男性で構成されたが、女性アーティストの貢献も決定的に重要だった。

  • レオノーラ・キャリントン(イギリス→メキシコ):エルンストのパートナーから自立し、メキシコで独自の象徴的絵画を確立。
  • レメディオス・バロ(スペイン→メキシコ):錬金術的なイメージと建築的構成。
  • ドロテア・タニング(アメリカ):エルンストの後妻。夢のイメージを精緻な技法で。
  • メレット・オッペンハイム(スイス):「毛皮の朝食」(1936、ティーカップを毛皮で覆った作品)でMoMA収蔵作家に。
  • クロード・カアン(フランス):ジェンダーを攪乱する自画像写真の先駆。
  • フリーダ・カーロ(メキシコ):ブルトンが「リボンを蝶の周りに巻きつけたような」と評し、メキシコで独自にシュルレアリスムを更新。

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続けてダダイスムを読むと、シュルレアリスムが何を引き継ぎ何を超えようとしたか、運動の前史が立体的に見えてくる。