赤いサッシュと黒いダブレット、口角を上げ、観る者を見返す若い男。
「笑う騎士」(The Laughing Cavalier, 1624)。
口髭がほんの少し動く、その瞬間を捉えた絵画です。
描いたのは、17 世紀オランダ黄金期を代表する肖像画家、フランス・ハルス(Frans Hals, 1582 頃〜1666)。
目次
フランス・ハルスとは
- 1582 年頃、現ベルギー・アントウェルペン生まれ
- 幼少期、家族が宗教的迫害を逃れハールレム(オランダ共和国)へ移住
- 師:カレル・ヴァン・マンデル(『北方画家伝』著者)
- 1610 年、ハールレムの画家ギルド・聖ルカ組合に入会
- 1616 年、最初の集団肖像画「ハールレム聖ジョージ市民隊の宴会」
- 1666 年、ハールレムで没、享年 84
17 世紀オランダの肖像画と社会
- 1581 年、北ネーデルラント独立(1648 年正式承認)
- 新教(カルヴァン派)社会、宗教画の市場は縮小
- 商人・市民層の台頭で、肖像画・風俗画・静物画の市場が爆発的成長
- 市民隊(民兵組合)・解剖組合・養老院理事会など、団体の集団肖像画が独自発達
主要作品
「笑う騎士」(1624、ロンドン・ウォレス・コレクション)
- 83 × 67 cm、油彩・カンヴァス
- 富裕な未知の若者、26 歳と銘記
- 厳密には笑っていない(口角が上がっている)が「笑う騎士」と通称
- サッシュの刺繍模様(矢・蜂・恋人結び)が恋愛モチーフ
「ハールレム聖ジョージ市民隊の宴会」(1616、フランス・ハルス美術館)
- 175 × 324 cm、ハルス最初の大型集団肖像画
- 12 人の市民隊員が宴の最中
- 従来のかしこまった整列肖像から、生き生きとした瞬間描写へ転換
「ハールレム聖ジョージ市民隊の宴会」(1627)
- 第 2 回目の同テーマ作、より動きのある構図
「ジプシー女」(1628-30、ルーヴル美術館)
- 58 × 52 cm、胸像
- 解放感のある笑顔、肌・髪・服の素早い筆致
- 20 世紀印象派が「現代性の祖」として再評価した代表作
「ヨンカー・ラムプ」(1623-25、メトロポリタン)
- 息子を膝に抱える若い貴族、犬と並ぶ
- カラヴァッジョ派の影響と独自の即興性が融合
「養老院の理事たち」「養老院の女性理事たち」(1664、フランス・ハルス美術館)
- ハルス 80 歳代の最晩年作
- 暗い背景の中、6 人の理事が並ぶ
- 厳しい筆致、晩年スタイルの傑作
ハルスの絵画的特徴
「アラ・プリマ」技法
- 下描き・下塗りを最小限に、一気に描き上げる
- 長い筆致がそのまま残る
- 近くで見るとぼやけ、遠くで見ると焦点が合う
- 後のマネ・印象派が「絵筆を見せる絵画」の先駆として再発見
瞬間表情の捕獲
- 固まった「ポーズ」ではなく、笑い・話す・振り返るの一瞬
- 「写真以前のスナップショット」と評される
集団肖像画の革新
- 整然とした整列から、卓を囲む生き生きとした集まりへ
- 役職・身分の差を、視線・身振りで表現
- 後のレンブラント「夜警」(1642)への土台
レンブラントとの比較
| ハルス | レンブラント | |
|---|---|---|
| 活動拠点 | ハールレム | ライデン → アムステルダム |
| 主要分野 | 肖像・集団肖像 | 肖像・歴史画・宗教画・自画像 |
| 筆致 | 素早く、見せる | 厚塗りの陰影、心理 |
| 光 | 明るく、外向 | 暗く、内向 |
| 劇性 | 瞬間の表情 | 劇的場面・物語 |
晩年と困窮
- 1652 年、家屋・家財差し押さえ
- 1654 年、パン屋へ作品を借金代わりに渡す
- 1662 年、ハールレム市から年金支給開始
- 「養老院の理事たち」は支給援助の見返り作とも考えられる
- 1666 年、貧困のうちに死去、市内聖バフォ教会に埋葬
後世への影響
- 19 世紀後半、印象派が「絵筆を見せる絵画」の先祖として再発見
- マネ・ジョン・シンガー・サージェント・ジェームズ・マクニール・ホイッスラー
- 「笑う騎士」は 1865 年第 4 代ハートフォード侯爵が落札、ヴィクトリア朝の視覚文化を席巻
- ヴァン・ゴッホはハルスの色彩について「27 種類の黒を識別している」と賞賛
ハールレムのフランス・ハルス美術館
- 1862 年、ハールレム市庁舎内に設立
- 1913 年、現在の旧老人ホーム建物(17 世紀)に移転
- 主要集団肖像画 8 点を一室に配置、世界最大のハルス・コレクション
- ハールレムは中央駅から徒歩 10 分、アムステルダムから電車 15 分
主な所蔵先
- フランス・ハルス美術館(ハールレム):集団肖像画 8 点
- ロンドン・ウォレス・コレクション:「笑う騎士」
- ルーヴル美術館:「ジプシー女」
- メトロポリタン美術館:「ヨンカー・ラムプ」
- アムステルダム国立美術館:複数作
- ブダペスト国立西洋美術館:晩年自画像
まとめ|ハルスを読む視点
- 17 世紀オランダ黄金期、レンブラントと並ぶ肖像画の二大巨匠
- 「アラ・プリマ」と「瞬間表情」の発明者、印象派・近代絵画への遠い橋
- 市民隊・養老院・市民層をモデルにした、共和国オランダの社会肖像
続けて レンブラントの夜警 や フェルメール「真珠の耳飾りの少女」 を読むと、オランダ黄金期の肖像画地図が立体的になります。

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