海北友松と狩野山楽|桃山障壁画の競合者たちが残した「雲龍図」と「松鷹図」
桃山障壁画の世界は 狩野永徳 と 長谷川等伯 の二大巨匠を語るのが定型ですが、彼らと同等あるいはそれ以上の規模で活躍した画家がもう二人います。
海北友松(かいほう ゆうしょう、1533–1615)と 狩野山楽(かのう さんらく、1559–1635)です。
友松は浅井家旧臣の侍の家に生まれ、武人の気骨を画業に持ち込んだ独立画家。山楽は秀吉に仕えた家臣の子で、狩野永徳の直弟子として京狩野を樹立。両者とも桃山〜江戸初期の障壁画界を牽引しました。
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海北友松の生涯
| 年 |
事項 |
| 1533 |
近江国坂田郡(滋賀県長浜市付近)に浅井家家臣・海北綱親の五男として生まれる |
| 1573 |
40 歳。浅井家滅亡。父・兄が戦死。京都・東福寺に出家 |
| 1574 頃 |
狩野元信の弟子(狩野派傍系)として絵を学ぶ |
| 1592 頃 |
還俗。本格的に絵師として独立 |
| 1599 |
建仁寺方丈障壁画「雲龍図」「花鳥図」「竹林七賢図」「山水図」 |
| 1606 |
京都・妙心寺、相国寺、東福寺などの障壁画 |
| 1615 |
京都で病没。享年 83 |
友松の作風特徴
- 「ぶた毛筆」と呼ぶ太い筆を多用
- 形を簡略化した 「袋人物」(衣装を袋状に描く独自様式)
- 水墨を主体、必要に応じて金地着色も
- 豪壮な構図と細部の繊細さの両立
- 武人としての気骨が画面の力強さに転化
建仁寺方丈障壁画(1599 年)
- 京都市東山区・建仁寺(臨済宗大本山)
- 方丈の襖絵を友松が一括制作
- 雲龍図:黒雲を破って現れる龍 2 体。八面襖の大画面
- 花鳥図:金地着色、桐・芙蓉と鳳凰
- 竹林七賢図:水墨で 7 人の隠逸者を描く
- 山水図:中国風の山水景
- 現在の方丈には複製、原本は 京都国立博物館 に寄託
- 50 面に及ぶ大規模制作。重要文化財
「雲龍図」を読み解く
- 八面襖、紙本墨画、1599 年
- 2 体の龍が雲海から姿を現す
- 右側の龍:頭部正面、胴体ねじれ、力感みなぎる
- 左側の龍:尾を画面外に張り出させる
- 墨の濃淡だけで雲・水・空・龍を描き分ける
- 南宋の 陳容「九龍図」(ボストン美術館蔵)の影響
- 南宋禅画の系譜を桃山日本で発展させた到達点
友松の他の代表作
- 「花卉図屛風」(京都国立博物館蔵):金地着色の華やかさ
- 「楼閣山水図屛風」(京都・天球院)
- 「飲中八仙図屛風」(京都国立博物館蔵)
- 「山水図屛風」(メトロポリタン美術館蔵)
- 「寒山拾得図屛風」(旧東京国立博物館蔵)
狩野山楽の生涯
| 年 |
事項 |
| 1559 |
木村永光(蒲生氏郷家臣)の子として近江で生まれる。幼名・光頼 |
| 1581 頃 |
豊臣秀吉に取り立てられ、狩野永徳に入門 |
| 1583 |
永徳の養子相当の地位を得て、狩野山楽の名を許される |
| 1590 |
師・永徳没後、永徳の長男・光信に協力 |
| 1615 |
大坂夏の陣後、豊臣家との関係で蟄居 |
| 1619 頃 |
復帰、京都の御所障壁画などを制作 |
| 1635 |
京都で病没。享年 77。京狩野を弟子・狩野山雪に継承 |
山楽の作風特徴
- 永徳様式の継承者:金碧大画の正統
- 永徳より 装飾性と 細密描写を強める
- 動物・鳥の描写に精彩
- 江戸狩野(探幽)よりも華麗・濃彩
- 京都を本拠とする 京狩野を樹立
「松鷹図襖」
- 京都・天球院(大徳寺塔頭)の襖絵
- 金地着色、巨大な松と鷹を描く
- 17 世紀初頭の制作
- 永徳の檜図を継承しつつ、装飾性をさらに高める
- 近年の修理で発見された落款から山楽作と確定
「龍虎図屛風」
- 京都・妙心寺、サンフランシスコ・アジア美術館蔵などに作例
- 左隻に龍、右隻に虎を描く水墨画
- 禅僧の主題を狩野派の様式で展開
- 友松の雲龍図と同主題ながら、装飾性で差異化
「車争図屛風」(東京国立博物館蔵)
- 『源氏物語』葵巻の有名場面
- 葵上と六条御息所の車争いを描く
- 六曲一隻、金地着色
- 古典物語と桃山障壁画様式の融合
- 京狩野の独特な物語表現
「紅白梅図屛風」(メトロポリタン美術館蔵)
- 金地着色の梅花図
- 後の 琳派(特に 尾形光琳)に直接影響
- 江戸初期、装飾絵画の橋渡し
京狩野の系譜
- 狩野山楽(1559–1635):京狩野の祖
- 狩野山雪(1589–1651):山楽の養子・弟子
- 狩野永納(1631–1697):山雪の子、京狩野 3 代
- 狩野永敬(1662–1702):4 代
- 江戸狩野(探幽・尚信・安信)が幕府御用となるのに対し、京狩野は朝廷・寺社の御用に
友松派の系譜
- 友松の子・海北友雪(1598–1677):父の作風を継承
- 江戸期の海北派は友雪以後に縮小
- 友松の独立性が逆に流派継承を弱めた可能性
友松 vs 山楽
| 観点 |
海北友松 |
狩野山楽 |
| 出自 |
武家(浅井家臣) |
武家(蒲生氏郷家臣)→ 秀吉直臣 |
| 師事 |
狩野元信系(傍系) |
狩野永徳(直弟子) |
| 主作風 |
水墨主体、簡略化された人物 |
金碧大画、装飾性重視 |
| 主要発注 |
禅宗寺院(建仁寺・東福寺) |
朝廷・大徳寺塔頭 |
| 後継流派 |
海北派(短命) |
京狩野(江戸期に継続) |
桃山障壁画四巨匠の比較
- 狩野永徳:金碧大画の発明者、武家権力の可視化
- 長谷川等伯:水墨と余白の侘び、能登の外様画家
- 海北友松:武家気骨と禅水墨、独立画家
- 狩野山楽:永徳様式の継承、京狩野の樹立
同時期の発注主体
- 大徳寺塔頭:聚光院、大仙院、孤篷庵
- 妙心寺塔頭:天球院、退蔵院、東海庵
- 建仁寺:方丈障壁画
- 東福寺:方丈障壁画
- 朝廷:御所障壁画
- 武家:徳川幕府、諸大名の城郭・屋敷
主要所蔵館
- 東京国立博物館:山楽「車争図屛風」、友松「寒山拾得図」
- 京都国立博物館:友松「花卉図屛風」「飲中八仙図屛風」、建仁寺寄託障壁画
- 建仁寺(京都市東山区):方丈障壁画の現地展示(複製)
- 妙心寺天球院(京都市右京区):山楽「松鷹図」
- メトロポリタン美術館:友松・山楽の屛風絵
受容史と再評価
- 江戸期:海北派は早期に衰退、山楽は京狩野として継続
- 明治期:岡倉天心・フェノロサの桃山美術再評価で友松が浮上
- 1965 年「桃山障壁画展」(東博)で四巨匠並置
- 2017 年「海北友松展」(京博・東博)で大規模回顧
まとめ|友松と山楽を読む視点
- 桃山障壁画は永徳・等伯の二極ではなく、友松・山楽を加えた四極で読む
- 友松=水墨と簡略化、山楽=金碧と装飾の継承
- 両者とも武家出身という共通点が画面の力強さを支える
- 禅宗寺院と朝廷という発注主体の違いが作風を分化させた
あわせて 狩野永徳と障壁画 や 安土桃山美術の全体像 を読むと、桃山障壁画の競合構造が立体的に見えてきます。
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