断崖に背を向けて立つ一人の男。
足下に渦巻く雲海、その向こうに薄青い山稜。
「雲海の上の旅人」(1818 年頃、ハンブルク市立美術館)。
19 世紀ヨーロッパ ロマン主義 絵画の最有名作のひとつです。
作者は カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Caspar David Friedrich, 1774〜1840)。
目次
フリードリヒとは
- 1774 年、バルト海沿岸グライフスヴァルト(当時スウェーデン領ポンメルン)生まれ
- 10 人兄弟、6 人を早世で喪う
- 13 歳:弟がスケート中に水死、自身が目撃
- コペンハーゲン王立美術アカデミーで学ぶ
- 1798 年以降ドレスデンに定住
- 1840 年、脳卒中後遺症のなか没
ドイツ・ロマン派の風景観
- 啓蒙主義の理性主義への反動
- 自然=神の啓示の場、自然=魂の鏡
- 朝霧、夕焼け、雪、月光、廃墟、十字架、樹木
- 「崇高(the sublime)」(バーク・カント):恐怖と憧れが交わる感情
フリードリヒの絵画的特徴
背を向ける人物(リュッケンフィグーア)
- 画面の中央や手前に小さな後ろ姿の人物
- 観者は人物の視線と一体化、風景に没入
- 「雲海の上の旅人」「窓辺の女」「海辺の修道士」
象徴的な対象
- 枯れ木:死、しかし春の予兆
- ゴシック廃墟:中世への憧憬、信仰の遺産
- 十字架:山頂や森の奥、「自然のなかの神」
- 月:神秘・夜・永遠
- 船:人生の旅、終着
朝霧・薄暮の光
- 正午の明るさは描かない
- 夜明け前と日没後の境界の光
- 遠景は霧に溶け、近景に枯れ枝や岩が黒く立ち上がる
- 絵全体が「沈黙」の感触
主要作品
「テッチェン祭壇画(山中の十字架)」(1808、ドレスデン国立美術館)
- 祭壇画として制作された風景画
- 山頂の十字架、夕日のシルエット、樅の木
- 「祭壇画は教会内の聖人物語」という伝統を破る、論争作
「海辺の修道士」(1808-10、ベルリン旧国立美術館)
- 圧倒的な空(画面の 9 割)と一人の小さな修道士
- 水平線を強調、人物は左下にぽつんと
- 「神の前に立つ無の人間」というロマン派宣言
「樫の森の中の修道院」(1809-10、ベルリン旧国立美術館)
- 「海辺の修道士」と対をなす
- 枯れた樫の木とゴシック廃墟、雪原
- 修道士の葬列が左下に小さく
「雲海の上の旅人」(1818 頃、ハンブルク市立美術館)
- もっとも有名な絵
- 緑のフロックコート、ステッキを持つ青年
- 近代「自我」と「自然」の対峙のアイコン
- 20 世紀以降、本・映画・ポップカルチャー無数の引用
「氷海(難破した希望号)」(1823-24、ハンブルク市立美術館)
- 北極の氷塊が積み重なる崩壊の風景
- 右奥に砕けた船
- 1819 年北極探検(パリー隊)に触発
- カント的「崇高」、20 世紀には現代エコロジカルな読みも
「人生の階段」(1835、ライプツィヒ造形芸術美術館)
- 夕暮れの海、5 隻の船と 5 人の人物
- 船の年齢と人物の年齢が対応(幼児・青年・壮年・老年・自身)
- 晩年の自伝的小品
ドイツ・ロマン派の仲間
- フィリップ・オットー・ルンゲ(1777-1810):色彩象徴・「日の四つの時」連作
- カール・グスタフ・カールス:医師・画家、フリードリヒの弟子格
- ルートヴィヒ・リヒター:童話風挿絵
- カール・フリードリヒ・シンケル:建築家でもありロマン的歴史画
同時代の思想
- シェリング自然哲学:自然=精神の表現
- ノヴァーリス:「青い花」のロマン主義
- ヴァッケンローダー、ティーク:絵画と音楽の精神性
- カントの『判断力批判』:崇高の概念
同時代の評価と忘却
- 1810 年代:プロイセン王太子に高く評価されベルリン国立美術館収蔵
- 1820 年代以降:写実主義・ビーダーマイヤーの台頭で時代遅れ扱い
- 1840 年没後ほぼ忘却
- 1906 年ベルリンの「ドイツ百年展」で再発見
- 20 世紀ナチス時代に民族主義的に乱用される
- 戦後再評価、現代美術への影響源として確立
後世への影響
- ムンク:北方ロマン派の延長
- マーク・ロスコ:「自分の絵はフリードリヒの直系」と発言
- ヴェルナー・ヘルツォーク映画の風景
- 映画「インランド・エンパイア」「ファンタスティック・プラネット」など多くの引用
- 2024 年生誕 250 年でベルリン・ドレスデン・ハンブルクで大回顧展
主な所蔵先
- ハンブルク市立美術館:「雲海の上の旅人」「氷海」
- ドレスデン国立美術館:「テッチェン祭壇画」
- ベルリン旧国立美術館:「海辺の修道士」「樫の森の中の修道院」
- ノルディスト美術館(オスロ):北方コレクション
- ポンメルン州立博物館(グライフスヴァルト):故郷の生家近郊
まとめ|フリードリヒを読む視点
- ドイツ・ロマン派の最重要画家
- 「背を向ける人物」「象徴的自然」「薄暮の光」が三本柱
- 近代「自我と自然」のテーマの絵画的原点、20 世紀以降も影響源として現役
あわせて 新古典主義・ロマン主義 や ターナー と並べて読むと、19 世紀風景画の二大巨頭の対照が見えてきます。

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