白い大理石に、若い男女の翼ある抱擁。
あまりに滑らかで、まるで肌に触れているかのよう。
「キューピッドとプシュケ」(1787-93、ルーヴル美術館)。
作者は アントニオ・カノーヴァ(Antonio Canova, 1757〜1822)。
新古典主義彫刻の最高峰として、ヨーロッパ全土で「現代のフェイディアス」と呼ばれた人物です。
目次
新古典主義とは
- 1750 年代〜1820 年代
- 古代ギリシャ・ローマ美術への意識的回帰
- ロココの過剰装飾への反動
- ヴィンケルマン『古代美術史』(1764)の理論的支柱
- 「高貴な単純と静かな偉大」(ヴィンケルマン)
- 主題:神話・歴史・英雄・道徳
背景となる発掘ブーム
- 1738 年ヘルクラネウム発掘開始
- 1748 年ポンペイ発掘開始
- 1750-60 年代パエストゥム神殿群の再発見
- 1801-12 年エルギン・マーブル(パルテノン彫刻)が大英博物館へ
- 古代美術が「想像」から「現物」になった時代
カノーヴァとは
- 1757 年、ヴェネツィア領ポッサーニョの石工家系に生まれる
- 11 歳でヴェネツィアの彫刻家工房に入門
- 1781 年ローマ移住、古代美術の研究に没頭
- 1798 年、ローマでナポレオン軍に評価される
- ナポレオン家の彫刻家、教皇庁の彫刻家を兼任
- 1815 年、パリへ赴きナポレオンが略奪した古代彫刻群(ラオコーン群像など)の返還交渉
- 1822 年没、故郷ポッサーニョにテンピオ(カノーヴァ礼拝堂)を建設
代表作
「テセウスとミノタウロス」(1782、V&A 美術館)
- ローマでの出世作
- テセウスがミノタウロスを倒した直後の静謐
- 「物語の頂点ではなく、その後の沈黙」を選ぶ画期的構図
「キューピッドとプシュケ」(1787-93、ルーヴル)
- プシュケが死の眠りから覚める瞬間
- 翼をひろげるキューピッドが優しく抱き起こす
- 大理石が肌の弾力を持って光る
- フランス革命動乱期にロシアの将軍ユスポフが購入、後にナポレオンが入手
「ヘラクレスとリカス」(1795-1815、ローマ国立近代美術館)
- ヘラクレスが召使リカスを海に投げる劇的場面
- 新古典主義の「静謐」を破る激しさ
- カノーヴァの自負作
「パオリーナ・ボルゲーゼ」(1804-08、ボルゲーゼ美術館)
- ナポレオンの妹ポーリーヌ・ボナパルトの肖像
- 「勝利のヴィーナス」として半裸で寝椅子に横たわる
- 大理石の薄い布地、肌の柔らかさ、寝椅子の木質感の描き分け
- 当時から賛否両論、現代では新古典主義女性肖像の頂点
「三美神」(1814-17、ロシア・エルミタージュ/英スコットランド国立美術館 共同所有)
- 互いに抱きあう女神の三人組
- ヘレニズム彫刻からの主題、しかしカノーヴァの新解釈
- 滑らかな大理石の集合体
「ナポレオン・ボナパルト 平和を授ける軍神マルス」(1802-06、アプスリー・ハウス・ロンドン)
- 等身大 2 倍、3.4m の裸体ナポレオン像
- ナポレオン本人は「裸が時代遅れ」と気に入らず
- 1816 年ウェリントン公爵に英国王から贈与
「クレメンス 13 世の墓碑」(1783-92、サン・ピエトロ大聖堂)
- カノーヴァのローマでの大成功作
- 祈る教皇、嘆くカリタス(慈愛)、静謐の獅子
- バロック墓碑(ベルニーニ)の動きを抑え、新古典主義の静謐へ
制作技法
- 粘土でモデルを制作
- 等大の石膏モデルに点を打ち、機械式「点取り器」で大理石に転写
- 工房職人が粗削り、最後の仕上げをカノーヴァ自身
- 大理石はカッラーラ産(大理石のヨーロッパ最高峰産地)
- 表面を蜜蝋とブロンズ粉で磨き、独特の温かみ
同時代の競合:トーヴァルセン
- ベルテル・トーヴァルセン(1770-1844、デンマーク)
- ローマでカノーヴァのライバル、より厳格な古典主義
- 「カノーヴァは官能的、トーヴァルセンは禁欲的」とよく対比される
- コペンハーゲンのトーヴァルセン美術館で大コレクション
影響源・後世
- 古代彫刻:ベルヴェデーレのアポロン、ラオコーン群像
- 同時代:ダヴィッド、アングル ら絵画と同時代
- 後継:トーヴァルセン、フィレンツェの19世紀彫刻群
- 反動:ロダン がカノーヴァ的「磨き上げの完璧」を破り、未完成と動きを彫刻に取り戻す
主な所蔵先
- ルーヴル美術館:「キューピッドとプシュケ」
- ボルゲーゼ美術館(ローマ):「パオリーナ・ボルゲーゼ」
- サン・ピエトロ大聖堂(ヴァチカン):「クレメンス 13 世墓碑」
- カノーヴァ博物館・テンピオ(ポッサーニョ、生家):石膏モデルと書簡
- エルミタージュ美術館(サンクトペテルブルク):「三美神」
- V&A 美術館(ロンドン):「テセウスとミノタウロス」
まとめ|カノーヴァと新古典主義を読む視点
- 古代ギリシャ・ローマの「再発見」と発掘ブームから生まれた様式
- カノーヴァは大理石を「肌のように温める」技法的頂点
- ロダン以前の彫刻のすべて、絵画のダヴィッド・アングルと並走する 19 世紀前半の主流
あわせて 新古典主義・ロマン主義 や ロダン と並べて読むと、19 世紀彫刻の連続と切断が見えてきます。

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