カジミール・マレーヴィチとは
カジミール・マレーヴィチ(Kazimir Malevich、1879-1935)は、ロシア/ウクライナ出身の画家・理論家で、20 世紀抽象絵画の起点を作った最重要作家のひとりである。1915 年「最後の未来派絵画展 0,10」でペトログラードに発表した「黒い四角(黒の正方形)」は、絵画から具象・遠近法・物語を完全に取り除き、純粋な感覚(シュプレマティヤ)だけを画面に残すという過激な提案だった。
彼が確立した運動「シュプレマティスム(Suprematism)」は、モンドリアンのデ・ステイル、バウハウス、構成主義、ミニマリズムへ続く 20 世紀抽象の最も重要な源泉のひとつである。1930 年代スターリン体制下のソ連で抽象絵画は禁圧されるが、マレーヴィチは具象に戻ったのちも「黒い四角」のサインを描き続け、晩年も自身の運動への忠誠を示した。
主要トピック
1. キエフからモスクワへ
1879 年、ロシア帝国領下のキエフ(現キーウ)にポーランド系の家庭で生まれる。1904 年モスクワに移住、絵画美術建築学校で学ぶ。初期作品は印象派・フォーヴィスム・キュビスムを順に通過し、ロシア独特の農民画的主題と西欧前衛様式を交差させた。
2. キュボ=フチュリズム期(1912-15)
1912 年頃、フィリッポ・マリネッティの未来派宣言に触発され、ロシア独自の「キュボ=フチュリズム」を展開。「研磨機」「収穫の女」「飛行機が飛ぶ」など、機械的・農村的モチーフを断片化した作品を制作した。
3. シュプレマティスムの誕生(1915)
1915 年 12 月、ペトログラードで開催された「最後の未来派絵画展 0,10」に「黒い四角」を出品。当時の慣習を破り、正教会のイコンを掛ける位置(部屋の隅の高所)に展示された。これは絵画の歴史におけるイコン破壊/再定義の宣言だった。同時期に出版されたマニフェスト『キュビスムから絵画的シュプレマティスムへ』で、彼は「物の重力」を絵画から取り除くと宣言する。
4. 白い上の白(1918)
1918 年「白の上の白い四角」で、シュプレマティスムは色彩からの離脱まで到達する。白地に微妙にトーンの異なる白の四角形——絵画的最小限度の表象。この作品は、20 世紀後半のミニマリズムやモノクローム絵画(ライマン、リヒターのグレー絵画など)の遠い起源と位置付けられている。
5. ヴィテプスクとウノヴィス
1919 年、ヴィテプスクの実用美術学校に教授として招かれ、エル・リシツキーらとともに「ウノヴィス(新芸術の確立者たち)」を組織した。建築・印刷・舞台美術にシュプレマティスムを応用するプロジェクトとして、ロシア構成主義への橋渡し役を果たす。
6. スターリン体制下の具象回帰
1930 年代、社会主義リアリズムが公式美術となる中、マレーヴィチは具象絵画に戻る。だが彼は新しい肖像画にあえて「黒い四角」を絵画外サインとして描き続け、自分のシュプレマティスムを最後まで放棄しなかった。1935 年レニングラードで死去、棺は本人デザインのシュプレマティスム十字で覆われた。
代表作・代表事例
| 年 | 作品 | 所蔵 | 意義 |
| 1913 | 研磨機(運動の原理) | イェール大学美術館 | キュボ=フチュリズムの代表 |
| 1915 | 黒い四角 | トレチャコフ美術館(モスクワ) | シュプレマティスム宣言作 |
| 1915 | 赤い四角(女性の絵画的写実主義) | ロシア美術館(サンクトペテルブルク) | 色面と意味の分離 |
| 1916 | シュプレマティスティック・コンポジション | 個人蔵→各館 | 幾何学要素の自由飛翔 |
| 1918 | 白の上の白い四角 | MoMA | 色からの離脱 |
| 1923 | 黒い円・黒い十字 | ロシア美術館 | シュプレマティスム三組 |
| 1933 | 自画像(古典様式) | ロシア美術館 | 具象回帰、サイン位置に黒い四角 |
技法・特徴
- 幾何学要素:四角形、円、十字、矩形のみで構成。線は引かず、色面の境界が画面を構成する。
- 無重力的構図:地平線も上下もない。色面が浮遊する構図はキュビスム・未来派の解析を超え、純粋な感覚だけを残す。
- 限定的なパレット:黒・白・赤を中心に、鈍い緑・青・黄が混じる。色は装飾でなく、感覚(シュプレマティヤ)の最小単位として扱われる。
- イコンの再定義:「黒い四角」を正教会イコンの位置に配したことは、絵画の宗教的機能を世俗の感覚絶対主義に置き換える行為だった。
- マニフェスト・印刷物:絵画と同等の重みでテキスト・小冊子・教科書を制作。「絵画の終わり」を運動として組織化した。
影響・後世
マレーヴィチの直接の弟子エル・リシツキーはシュプレマティスムをドイツへ持ち込み、バウハウス、デ・ステイル(モンドリアン、ファン・ドゥースブルフ)と接続させた。20 世紀後半のアド・ラインハート、フランク・ステラ、ドナルド・ジャッド、ロバート・ライマンに至るまで、絵画から物語と遠近法を取り除く系譜は、すべてマレーヴィチの仕事を経由している。
2015 年、トレチャコフ美術館は「黒い四角」誕生 100 年を記念する大規模研究展を開催。X 線分析により、画面の下層には別の絵が描かれ、画面の隅には「黒人の戦い」と書かれていることが報告された。20 世紀美術の最も静かな最初の一枚は、いまも分析が続いている。20 世紀前半の美術運動概観のなかで、未来派・キュビスム・構成主義と並ぶ抽象絵画の核として位置付けたい。
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よくある疑問(Q&A)
Q1. なぜ「黒い四角」が「絵画の終わり」とまで言われるのですか?
マレーヴィチ自身、絵画を「対象の再現」として理解する全ての伝統からの離脱を意図しました。具象、遠近法、物語、装飾、すべてを取り除き、単純な黒い面と白い余白だけを残したこの作品は、絵画とは「物の表象」ではなく「感覚そのもの」だと宣言しました。20 世紀以降のミニマリズム、モノクローム絵画、コンセプチュアル・アートに直結する地点です。
Q2. 「黒い四角」は何枚ありますか?
マレーヴィチ自身が描いた「黒い四角」は 4 枚現存します。1915 年初版(トレチャコフ美術館、モスクワ)、1923 年版(ロシア美術館、サンクトペテルブルク)、1929 年版、1932 年版です。展示の機会・破損・新会場のサイズに応じて画家自身が再制作した点が興味深く、彼の中で「黒い四角」は単一の絵画ではなく一種のテンプレートでした。
Q3. シュプレマティスムと構成主義はどう違うのですか?
シュプレマティスムは絵画的・観念的な運動で、純粋な感覚を画面に固定することを目指しました。構成主義(ロドチェンコ、タトリン、リシツキー)はより実用的で、革命後の社会建設に直接寄与する建築・印刷・舞台美術を重視しました。マレーヴィチはタトリンと激しく論争し、両運動はロシア・アヴァンギャルドの双子のような対立関係を持ちました。
Q4. なぜスターリン体制は抽象絵画を弾圧したのですか?
1932 年の党中央委員会決議でソ連美術家連盟が結成され、社会主義リアリズムが唯一の公認様式となりました。抽象は「西側ブルジョワ趣味」として排斥されました。マレーヴィチは具象画家に戻る一方、自宅地下にシュプレマティスム作品を秘匿しました。1958 年以降、雪解け期のフルシチョフ政権下で徐々に再評価が始まります。
Q5. ウクライナ/ロシア/ポーランドのどこの作家と呼ぶべきですか?
マレーヴィチはキエフ生まれのポーランド系で、最も活動した場はモスクワとペトログラード/レニングラードです。本人は自身の出自を多重的に語っており、近年のロシア・ウクライナ情勢の文脈では、ウクライナ側が「ウクライナの画家」として再帰属を主張しています。アイデンティティの複数性そのものが 20 世紀東欧の画家の特徴と言ってよいでしょう。
続けてマレーヴィチ個別解説 postを読むと、「黒い四角」展示の経緯と、シュプレマティスム宣言の中身が章立てで把握できる。20 世紀前半カテゴリ TOP で、未来派・キュビスム・構成主義との関係も合わせて追いたい。