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チェコの宝「スラブ叙事詩」-ミュシャの巨大連作と、売れる仕事と本当に描きたい絵。
スラブ叙事詩とは — 基本データと位置づけ
「スラブ叙事詩」(The Slav Epic / チェコ語 Slovanská epopej)は、アルフォンス・ミュシャが 1910 年から 1928 年までの 18 年間にわたって制作した全 20 点の歴史画大連作である。最大 6.1 × 8.1 メートル級の大画面に、スラヴ民族の故郷・キリスト教化・フス戦争・東スラヴから南スラヴまでの歴史的場面を描き、最終 20 点目「スラヴの讃歌」で全民族の精神的勝利を寓意的に締めくくる。1928 年、チェコスロヴァキア独立 10 周年にミュシャはこの 20 点全部をプラハ市へ無償寄贈した。財政支援者はシカゴの実業家チャールズ・R・クレイン。
- 制作: 1910〜1928 年(18 年間)
- 作者: アルフォンス・ミュシャ(Alphonse Mucha, 1860–1939)
- 形式: テンペラと油彩の併用、キャンバス
- サイズ: 最大 610 × 810 cm、最小でも 405 × 480 cm
- 点数: 全 20 点
- 制作場所: チェコ・西ボヘミアズビロフ城のアトリエ(巨大画面に対応)
- 初公開: 1919 年プラハ・クレメンチヌム宮殿(一部)/1928 年全 20 点をプラハ市に寄贈・初公開
- 主要所蔵史: 1928 プラハ → 1939 戦災疎開 → 1963〜2011 モラフスキー・クルムロフ城 → 2012〜2016 プラハヴェレトゥルジュニ宮殿常設 → 2017 国立新美術館(東京)日本初公開 → 以後プラハ周辺を巡回・新展示施設計画中
20点全リスト(番号・主題・年・サイズ)
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| # | 主題(邦題 / 原題) | 制作年 | サイズ(cm) | 場面の概要 |
|---|
| 1 | 原故郷のスラヴ民族 / The Slavs in Their Original Homeland | 1912 | 610×810 | 4〜6 世紀、東欧平原のスラヴ民族原初の地。略奪者から逃れる男女と精霊像 |
| 2 | ルヤーナ島のスヴァントヴィート祭 / The Celebration of Svantovít | 1912 | 610×810 | バルト海ルヤーナ島のスラヴ多神教神スヴァントヴィート祭祀 |
| 3 | スラヴ式典礼の導入 / Introduction of the Slavonic Liturgy | 1912 | 610×810 | 9 世紀、聖キュリロス・聖メトディオス兄弟による教会スラヴ語典礼の導入 |
| 4 | ブルガリア皇帝シメオン1世 / Tsar Simeon I of Bulgaria | 1923 | 405×480 | 10 世紀、ブルガリア帝国最盛期、シメオン 1 世の宮廷で写本が編纂される場面 |
| 5 | ボヘミア王プシェミスル・オタカル2世 / King Přemysl Otakar II of Bohemia | 1924 | 405×480 | 13 世紀、北東ヨーロッパ最強王権者の婚礼祝祭 |
| 6 | セルビア皇帝ステファン・ドゥシャンの戴冠 / The Coronation of Tsar Stefan Dušan | 1923 | 405×480 | 1346 年、ステファン・ドゥシャンのスコピエでの戴冠式 |
| 7 | クロムニェジーシュのヤン・ミリーチ / Jan Milíč of Kroměříž | 1916 | 620×405 | 14 世紀、フス改革に先立つチェコ宗教改革者ミリーチが娼館を女子修道院に改修 |
| 8 | ベツレヘム礼拝堂で説教するヤン・フス / Master Jan Hus Preaching at the Bethlehem Chapel | 1916 | 620×405 | 1412 年プラハ・ベツレヘム礼拝堂、フスがチェコ語で民衆に説教する場面 |
| 9 | クジーシュキ村集会 / The Meeting at Křížky | 1916 | 620×405 | 1419 年、フス派民衆が中央ボヘミアの丘に集結。フス戦争の前夜 |
| 10 | ヴィートコフ山の戦いの後 / After the Battle of Grunwald | 1924 | 405×480 | 1410 年、ポーランド・リトアニア軍がドイツ騎士団に勝利した後の戦場 |
| 11 | ヴィードニェのペトル・ヘルチツキー / Petr Chelčický at Vodňany | 1918 | 405×620 | 1420 年、フス派の中で非暴力主義を唱えたチェコ兄弟団の祖を描く |
| 12 | イヴァンチツェのクラリツェ聖書印刷 / The Brethren School at Ivančice | 1914 | 405×620 | 1578 年、ミュシャ生地イヴァンチツェのチェコ兄弟団によるクラリツェ聖書印刷 |
| 13 | ヤン・アモス・コメニウスの最後の日々 / The Last Days of Jan Amos Komenský | 1918 | 405×620 | 1670 年、亡命先オランダ・ナールデンで死を待つ近代教育の祖 |
| 14 | ロシア農奴解放 / The Abolition of Serfdom in Russia | 1914 | 610×810 | 1861 年、モスクワ・赤の広場で農奴解放令を聞くロシア農民 |
| 15 | 聖アトス山 / Mount Athos | 1926 | 405×480 | 東方正教の聖地アトス山。スラヴ正教世界の精神的支柱 |
| 16 | オムラジナ協会の誓い / The Oath of Omladina under the Slavic Linden Tree | 1926 | 405×480 | 1894 年、チェコ青年運動オムラジナ協会の誓い |
| 17 | ロシアにおける農奴解放 — 自由の祭典 / The Holy Mount Athos(同主題別画題ある場合あり) | 1924 | 405×480 | 解放後の自由を祝う祭典場面 |
| 18 | ボヘミア兄弟団の校長 / Bohemian School at Ivančice | 1914 | 405×620 | イヴァンチツェの兄弟団学校、ミュシャ自身の故郷を反映 |
| 19 | 独立宣言 / The Apotheosis of the Slavs(部分前作) | 1926 | 405×480 | 1918 年チェコスロヴァキア独立宣言の予型 |
| 20 | スラヴの讃歌 / The Apotheosis of the Slavs | 1926 | 480×405 | 連作の最終章。古代から現代まで全スラヴ民族が一画面に集結する寓意的勝利図 |
※ 17・19 を含むいくつかの題名は伝来の異称があり、ミュシャ財団・ヴェレトゥルジュニ宮殿・国立新美術館 2017 年図録で表記が分かれる。本一覧はミュシャ財団および国立新美術館 2017 年公式図録を主要典拠としている。
3つの主題群 — 連作の構成原理
20 点は地理的・主題的に大きく 3 つの群に分かれる:
- 古代・原初期(#1〜#3): スラヴ民族の故郷・多神教祭祀・キリスト教導入。連作の神話的起源を提示
- 中世スラヴ諸国家(#4〜#15): ブルガリア・ボヘミア・セルビア・ポーランド・ロシア・東方正教各国の国家形成と宗教改革。フス戦争(#7〜#11)、ヤン・フス(#8)、コメニウス(#13)など中欧プロテスタンティズムの系譜が中心
- 近代と讃歌(#16〜#20): ロシア農奴解放(#14)、オムラジナ協会、独立宣言、最終章「スラヴの讃歌」。連作は現代スラヴ民族の自由で締めくくられる
制作経緯 — 構想から完成まで
ミュシャの「スラブ叙事詩」構想は、1900 年パリ万博でボスニア・ヘルツェゴヴィナ館の装飾を担当した経験に始まる。バルカン現地取材で南スラヴ諸民族の歴史と風俗に直接触れたミュシャは、「自分の本当の使命はスラヴ民族の歴史を描くことである」と確信した。1909 年、シカゴの実業家チャールズ・R・クレインがこの構想に共鳴し、20 点制作の財政支援を約束する。
1910 年、ミュシャは渡米生活を畳んで祖国チェコへ帰国し、西ボヘミアのズビロフ城のホールをアトリエとして借りた。6 メートル級の大画面に対応するため、ホールの高い天井と大開口を持つ部屋が不可欠だったためである。1912 年に最初の 3 点(#1, #2, #3)が完成、1919 年プラハ・クレメンチヌムで部分公開、1928 年に全 20 点を完成させプラハ市へ寄贈した。
所蔵移転史 — 4つの場所を経て
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| 期間 | 所蔵地 | 状況 |
|---|
| 1928〜1939 | プラハ・各種公共施設 | 寄贈直後は専用展示館建設が約束されたが実現せず、各所で部分展示 |
| 1939〜1963 | 各地に疎開・倉庫保管 | 第二次大戦・社会主義体制下で長期非公開 |
| 1963〜2011 | モラフスキー・クルムロフ城(南モラヴィア) | 地元自治体の誘致で 48 年間公開。地域経済の象徴となる |
| 2012〜2016 | プラハ国立美術館ヴェレトゥルジュニ宮殿 | 所有権訴訟を経てプラハ市が引き取り、市内で全 20 点常設公開 |
| 2017 | 東京・国立新美術館「ミュシャ展」 | 日本初の全 20 点同時公開展。約 65 万人を動員(混雑時の整理券方式) |
| 2018〜現在 | プラハ周辺を巡回/新展示施設計画 | 所有権・展示権をめぐるミュシャ財団とプラハ市の交渉が継続。プラハ郊外サヴァリン宮殿等への移転計画 |
所有権・展示権をめぐる訴訟史
1928 年の寄贈時、ミュシャは「プラハ市が専用展示館を建設すること」を条件としたが、その建物は今日に至るまで実現していない。これを根拠にミュシャの孫ジョン・ムハ(ミュシャ財団代表)は 2010 年代に複数回にわたり所有権をめぐる訴訟を起こし、また展示条件・海外貸出権・モラフスキー・クルムロフへの恒久貸与の可否などをめぐってプラハ市・チェコ文化省と交渉を継続している。2026 年現在、20 点はプラハ市の所有のまま、ヴェレトゥルジュニ宮殿の常設は終了し、新展示施設の建設場所をめぐって市・財団・地元モラヴィア各自治体の三者交渉が続いている状況である。
技法と画面構成
- テンペラ・油彩併用: 大画面の薄塗りには卵テンペラ、前景の人物・象徴像には油彩を使い分け、画面の透明感を維持した
- 遠近の二重構造: 各画面は歴史的場面(前景)と霊的・象徴的場面(後景・上空)の二層構造を持つ。たとえば #1「原故郷」では、地上を逃げる男女の上空に巨大な精霊像が浮かぶ
- モデル写真: ミュシャは登場人物ごとにモデルを雇って写真撮影を行い、その資料をもとに最終構図を組み立てた。撮影写真は現在ミュシャ財団に保管
- 色彩象徴: 各場面の色調は主題に応じて青(#1 神話的起源)・金(#3 キリスト教導入)・赤(#9 フス戦争)など計画的に振り分けられている
受容史 — 同時代評価から戦後再評価まで
1928 年の完成時、すでに「装飾画家ミュシャ」のパリ期イメージが定着していた美術界では、スラブ叙事詩の歴史画的・民族主義的様式は時代遅れと見なされた。同時期にチェコ前衛美術運動デヴィエトスィルはキュビスム・構成主義へ向かっており、スラブ叙事詩は 「19 世紀末の遺物」 として批評的に冷遇された。
戦後、社会主義体制下のチェコスロヴァキアでも長期間ほぼ非公開に置かれ、世界的再評価が始まったのは 1980 年代以降である。1990 年代以降、ミュシャ財団による海外巡回展が拡大し、2017 年の国立新美術館展で日本でも全 20 点同時公開が実現、約 65 万人を動員した。動画記録・高精細写真の公開も進み、現在ではミュシャの最高傑作として位置づけ直されている。
関連項目
続けてスラブ叙事詩 完全ガイドを読むと、20 点全場面の解説と所蔵移転史がより詳細に追える。アルフォンス・ミュシャのパリ期商業ポスター(ジスモンダ・四季・JOB など)と並べて見ることで、装飾デザイナーから祖国の歴史画家へというミュシャの様式更新が立体的に理解できる。
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