「リンゴ一個でパリを驚かせてみせる」。
そう語ったポール・セザンヌ(1839〜1906)は、後に近代絵画の父と呼ばれる存在になりました。
派手なスキャンダルもなく、生前は限定的な評価しか得られなかった画家。
しかし彼が独りで磨いた絵画観が、20世紀の美術を根底から変えていきます。
目次
セザンヌの生涯
- 1839年: 南仏エクス=アン=プロヴァンスに銀行家の子として生まれる
- 1861年: パリに出るも、サロンに連年落選
- 1874年: 第1回印象派展に参加
- 1886年〜: 父の遺産で経済的に自立、エクスに戻り探究を深める
- 1906年: 制作中に倒れ没
晩年の20年間、サント=ヴィクトワール山と静物に集中したことが知られています。
印象派からの離脱
セザンヌは初期、モネらと同じく光と色を追いました。
- 戸外で制作する姿勢、明るい色彩は印象派と共通
- しかし「印象派は形が消える」と感じ始める
- 「印象派をミュージアムの古典のように堅固なものにしたい」と語る
瞬間の光ではなく、持続する形態を絵画に取り戻そうとしたのです。
「自然を円筒・球・円錐で扱う」
セザンヌの有名な言葉です。
- 形を幾何学的な単純形に分解する
- 細部より、全体の構造を優先
- これが20世紀のキュビスムの直接の出発点となる
静物画の革新
リンゴと布の「重さ」
セザンヌの静物画は、なんでもないテーブル上の果物を描き続けます。
- リンゴ一つの重みが、画面全体の構造に響く
- 視点をわずかにずらした多視点が混ざる(机の縁が左右で噛み合わない作例も)
- 「絵は外界の写しではなく、絵自身の構造で立つ」という考え
サント=ヴィクトワール山の連作
故郷エクスから望むサント=ヴィクトワール山を、彼は60点以上描き続けました。
- 1882年頃から1906年の晩年まで、繰り返し主題化
- 同じ山が、年代ごとに次第に幾何学的に抽象化される
- 晩年の作品は色面の積み重ねへ近づき、純粋な絵画へ収斂
水浴図というテーマ
もう一つの晩年の代表が、大水浴図シリーズです。
- 裸体の群像をピラミッド型に配置
- 古典絵画の構図を、近代の絵画言語で組み直す試み
- ピカソ「アヴィニョンの娘たち」(1907)に直接の影響
多視点と「絵画の構造」
セザンヌの絵では、皿の縁・机のラインが画面のなかで複数の角度から組み合わされます。
- 近代以前の一点透視を放棄
- 「視覚の真実」より「絵画の真実」を優先する姿勢
- 後にキュビスムが多視点を一気に推進
後世への影響
まとめ|セザンヌを読むための視点
- 印象派から出発し、消える光ではなく持続する形態へ向かった
- 幾何学的単純形と多視点が、20世紀絵画の出発点となる
- 晩年のサント=ヴィクトワール連作と大水浴図に、その思考が結晶化
同時代のゴッホ・ゴーガンと並ぶポスト印象派の3巨匠ですが、セザンヌだけが絵画そのものの構造を問い続けた画家といえます。

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