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後期印象派とは:印象派の先へ進んだ三人の探究

後期印象派(Post-Impressionism)は、印象派の光と色彩の革命を起点としながら、それを超えて「形態」「象徴」「主観」を絵画に取り戻そうとした1880〜1905年頃の画家たちを指す。後期印象派は同一の様式を持つ「派」ではなく、共通する出発点と問題意識を持った個人の集合である。命名は1910年のロンドン展「マネと後期印象派たち」を企画したロジャー・フライによる事後的なものである。

中心人物はポール・セザンヌフィンセント・ファン・ゴッホポール・ゴーガンの三人である。広義にはジョルジュ・スーラ、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックも含まれる。

三人の画家とその課題

セザンヌ:形態の構造化

セザンヌは印象派の流動する筆触を「より堅固で永続的なもの」へ変えようとした。彼の有名な言葉「自然を円錐・球・円筒で扱え」は、対象を幾何学的な構造として捉え直す試みである。サント・ヴィクトワール山と静物画の連作を通じて、彼は二次元のキャンバスに三次元の体積をどう配置するかを徹底的に研究した。この問題意識はピカソとブラックのキュビスムに直結する。

ゴッホ:感情と象徴の表現

ファン・ゴッホは印象派の純色をさらに強めて、感情の媒体として用いた。「星月夜」のうねる空、「ひまわり」の灼熱の黄色は、自然観察ではなく内面の表出である。アルル・サン=レミ時代の作品は、20世紀の表現主義(フォーヴィスム・ドイツ表現主義)の起点となった。

ゴーガン:原始への回帰と象徴主義

ポール・ゴーガンは産業化したヨーロッパを離れ、ブルターニュからタヒチへ旅し、平面的な色面と象徴的なイメージで「文明以前」の精神性を描いた。彼の「クロワゾニスム(区画分け様式)」は黒い輪郭線の中に純色を置く手法で、ナビ派・象徴主義へと展開する。

後期印象派の共通する問題意識

観点印象派後期印象派
関心の中心視覚(網膜が捉える光)構造・感情・象徴・記憶
色の役割光の再現形を作る/感情を伝える/象徴する
主題現代の都市・郊外風景静物・南仏・原始的世界・内面
制作態度戸外で迅速に描く戸外と工房の往復/じっくりとした観察と推敲

後世への影響:20 世紀絵画の母体

  • セザンヌ → キュビスム:1907年のセザンヌ回顧展がピカソとブラックに決定的な影響を与え、キュビスムが誕生した。
  • ゴッホ → フォーヴィスム・表現主義:マティス・ヴラマンクの純色解放、ドイツのキルヒナー・ノルデの感情表現が直接の継承。
  • ゴーガン → 象徴主義・ナビ派:ボナール・ヴュイヤール・ドニらが平面性と装飾性を発展させ、世紀末の象徴主義へ繋がる。

20世紀絵画の主要な運動はすべて、この三人のいずれかの問題意識を出発点としている。近代(20世紀前半)カテゴリに並ぶ運動を、後期印象派からの系譜として読むと全体像が見えやすい。

市場と評価の歴史

三人とも生前には十分な評価を受けず、ゴッホは生涯で1点しか売れなかった。死後10〜20年で評価が定着し、20世紀後半には世界市場でも最高クラスの価格で取引される画家となった。1990年にゴッホ「医師ガシェの肖像」が当時のオークション最高額(8,250万ドル)を記録した出来事は象徴的である。

後期印象派と日本:浮世絵経由の影響

後期印象派の三人とも浮世絵に深い関心を示した。ゴッホは200点以上の浮世絵を収集し、広重の「亀戸梅屋舗」と「大はしあたけの夕立」を油彩で模写した。ゴーガンはタヒチ移住前から浮世絵に親しみ、画面の平面化と輪郭線の使用に応用した。セザンヌの「サント・ヴィクトワール山」連作の高所視点は、浮世絵の俯瞰構図と関連が指摘されている。三人にとって浮世絵は「西欧の遠近法」を解体する別の選択肢を示すものであり、これが20世紀絵画の脱遠近法の流れを決定づけた。

後期印象派の南北:南仏とブルターニュ

後期印象派の三人は、印象派が拠点としたパリと郊外(アルジャントゥイユ・シャトゥー)からさらに離れた場所で制作した。セザンヌは故郷エクス=アン=プロヴァンスに引きこもり、サント・ヴィクトワール山と農園の対象に没頭した。ゴッホはアルル・サン=レミ・オーヴェールと南仏中心に活動した。ゴーガンはブルターニュのポン・タヴェンで「ナビ派」の若手と交流し、その後タヒチ・マルキーズ諸島へ南進した。

三人とも、パリの近代都市生活ではなく、地方や非西欧の風土に「絵画の根拠」を求めた点で共通する。これは印象派の「現代生活の画家」という都市志向とは対極にある。後期印象派は地理的には印象派の「外側」へ広がる運動でもあった。

三人の没年と20世紀絵画の出発点

後期印象派の三人は短い間隔で世を去った。ゴッホは1890年(37歳)、ゴーガンは1903年(54歳、マルキーズ諸島)、セザンヌは1906年(67歳、エクス=アン=プロヴァンス)。三人の死は、印象派世代の終わりと20世紀絵画の幕開けを象徴的に区切った。1907年のサロン・ドートンヌでセザンヌ大回顧展(56点)が開催され、ピカソとブラックが集中的にセザンヌの作品を研究した。同年に「アヴィニョンの娘たち」が制作され、キュビスムが誕生する。ゴッホの大規模な回顧展はケルン・ゾンダーブント展(1912)で実現し、ドイツ表現主義に決定的な影響を与えた。ゴーガンの作品はパリ・ヴォラール画廊などを通じてナビ派のボナール・ヴュイヤール・モーリス・ドニに継承された。

後期印象派の名称と画期

「後期印象派」というカテゴリーは、運動の渦中ではなく事後的に整理された。1910年11月、ロンドンのグラフトン画廊でロジャー・フライが企画した展覧会「マネと後期印象派たち」(Manet and the Post-Impressionists)が初出である。マネ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーガン、マティスらをひとまとめにし、印象派以降の新しい絵画運動として紹介した。当時のロンドンでは大スキャンダルとなったが、英語圏での「Post-Impressionism」という呼称はここで定着した。

三人の画家は互いに直接の弟子関係を持たない。セザンヌはエクス=アン=プロヴァンスに引きこもり、ゴッホはオランダ・パリ・南仏を転々とし、ゴーガンはブルターニュ・タヒチを拠点とした。地理的に分かれた個人の探求が、後の世代に統合的な意味を持つようになった点に運動の特殊性がある。

後期印象派周辺の画家:象徴主義・新印象派・ナビ派

  • ジョルジュ・スーラ・ポール・シニャック(新印象派・点描主義):補色の科学的並置を理論化し、「ラ・グランド・ジャット島の日曜日の午後」(1884-1886)に結実させた。
  • アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック:パリのダンスホール「ムーラン・ルージュ」とリトグラフポスターで都市文化の夜を描いた。
  • ピエール・ボナール・エドゥアール・ヴュイヤール(ナビ派):ゴーガンに私淑する若手集団で、室内装飾と平面性を追求した。
  • オディロン・ルドン:象徴主義の側面から夢のイメージと幻想を絵画化した。

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続けてキュビスムを読むと、セザンヌの形態探究がいかに20世紀絵画の根本概念を変えたかが具体的にわかる。