赤い犬、黄色い砂、青い人物。
原色の楽園に立つタヒチの女たち。
ポール・ゴーガン(Paul Gauguin, 1848〜1903)。
ゴッホ・セザンヌと並ぶ 後期印象派の三巨匠の一人。
「文明からの逃走」と「原始の楽園」という近代美術の主要主題を体現しました。
目次
ゴーガンとは
- 1848 年パリ生まれ、母は南米ペルー系
- 幼少期をリマで過ごす
- 17 歳から船員、その後パリで株式仲買人として成功
- 1882 年の株式市場崩壊で仲買人廃業、画家へ転身
- 1903 年マルキーズ諸島(南太平洋)で没
画家への転身
- 初期は印象派風
- 第 5 回印象派展(1880)に出品
- ピサロに指導を受ける
- 1886 年ブルターニュ・ポンタヴェンへ移住
ポンタヴェン派と総合主義
ブルターニュ地方の小村ポンタヴェンで、ゴーガンは新しい絵画様式を構想します。
- クロワゾニズム: 太い黒線で輪郭を区切る(ステンドグラスのような効果)
- 総合主義(サンテティスム): 観察より「記憶と象徴」を統合
- 平面的な色面、遠近法の放棄
- ジャポニスム(浮世絵)と中世ステンドグラスの参照
「説教の後の幻影(ヤコブと天使の闘い)」(1888、エディンバラ・スコットランド国立美術館)
- 白いコワフのブルターニュ農婦
- 朱色の地面で天使と取っ組み合うヤコブ(聖書)
- 現実と幻影が同一画面に並ぶ
- 象徴主義絵画の宣言
アルル滞在とゴッホ
1888 年 10〜12 月、ゴッホに招かれてアルル「黄色い家」で共同生活。
- 2 か月の濃密な共同制作
- ゴッホ「ゴーガンの椅子」、ゴーガン「ゴッホ向日葵を描く」
- クリスマス前にゴッホが耳の一部を切る事件
- 共同生活は破綻、ゴーガンはパリへ
タヒチへの旅立ち
- 1891 年 4 月、最初のタヒチ行き
- 「文明病」からの脱出を求める
- ポリネシア神話・自然・原住民の生活を主題に
- 1893 年いったん帰国、不評
- 1895 年再度タヒチへ、二度と戻らない
タヒチ時代の代表作
「マナオ・トゥパパウ(死霊が見ている)」(1892、バッファロー・オルブライト・ノックス美術館)
- 夜の闇に身を伏せるタヒチの少女
- 背後にうずくまる死霊
- 恐怖と性の主題
- マネ「オランピア」へのオマージュであり反転
「我々はどこから来たのか、何者か、どこへ行くのか」(1897〜98、ボストン美術館)
- 幅 4m 近い晩年の集大成
- 右の赤子(誕生)から左の老婆(死)へ、生涯を象徴
- 制作後にゴーガンは自殺未遂
- 絵画の哲学的問いの代表作
「タヒチの女たち(浜辺にて)」(1891、オルセー)
- 砂浜に座る二人の女性
- 強い色面と単純化されたフォルム
- マルキーズ島へ移る前の楽園イメージ
マルキーズ諸島の最晩年
- 1901 年タヒチからマルキーズ諸島ヒバ・オア島へ
- 「快楽の家」を建てる
- 植民地行政・教会と対立
- 1903 年 5 月 8 日没、墓は同島
ゴーガンと「原始」の問題
近年の美術史は、ゴーガンの「原始」に批判的視座を加えています。
- 植民地化されたタヒチを「楽園」として表象する問題
- 未成年の現地少女と関係を持った事実
- 白人芸術家の視線によるオリエンタリズム
同時に、その絵画的革新の重大さも揺らぎません。
ゴーガンの絵画的革新
- 色彩の自律性(観察の色から想像の色へ)
- 遠近法の放棄、平面の強調
- 象徴的・神話的内容を絵画に戻す
- 木彫・陶芸・木版画への展開(『ノアノア』連作)
後世への影響
主な所蔵先
- オルセー美術館(パリ):「タヒチの女たち」「白い馬」
- ボストン美術館:「我々はどこから来たのか…」
- エディンバラ・スコットランド国立美術館:「説教の後の幻影」
- メトロポリタン美術館(ニューヨーク)
- プーシキン美術館(モスクワ):タヒチ時代の名作群
まとめ|ゴーガンを読む視点
- 印象派の観察を超えて、色と象徴の自律性を確立
- タヒチ/マルキーズという「楽園」のイメージを発明
- 20 世紀美術のプリミティヴィスムと色彩革命の起点

あなたの意見を聞かせてください