パブロ・ピカソとは
パブロ・ピカソ(Pablo Picasso, 1881–1973)は 20 世紀美術を最も大きく塗り替えたスペイン出身の画家・彫刻家である。マラガに生まれバルセロナで美術修業ののちパリへ移住し、フランスを拠点に 91 歳まで制作を続けた。生涯で残した作品は絵画・素描・版画・彫刻・陶芸を含めて約 5 万点と推定される。
ピカソの最大の革新は 「対象を一つの視点から描く」西洋絵画の前提を捨てたことにある。1907 年の「アヴィニョンの娘たち」を起点にジョルジュ・ブラックとキュビスムを生み、続いて新古典主義回帰、シュルレアリスム接近、政治的歴史画、晩年のセラミック・版画と、複数の様式を自在に行き来した。
制作期の区分
| 時期 | 名称 | 主な作品 |
|---|---|---|
| 1901〜1904 | 青の時代 | 「人生」「悲劇」 |
| 1904〜1906 | バラ色の時代 | 「サルタンバンクの家族」 |
| 1906〜1909 | アフリカ期/プロト・キュビスム | 「アヴィニョンの娘たち」 |
| 1909〜1912 | 分析的キュビスム | 「カーンワイラーの肖像」 |
| 1912〜1919 | 総合的キュビスム | 「籐椅子のある静物」 |
| 1917〜1924 | 新古典主義回帰 | 「海辺を走る二人の女」 |
| 1925〜1937 | シュルレアリスム接近 | 「ミノタウロマキア」「泣く女」 |
| 1937 | 政治的歴史画 | 「ゲルニカ」 |
| 1945〜1973 | 晩年期 | セラミック、版画「闘牛」シリーズ |
必見の代表作
1. アヴィニョンの娘たち(1907)
5 人の裸婦の身体を平面化し、右側 2 体にアフリカ仮面の造形を取り入れた。遠近法と陰影の整合を捨てたこの作品は、キュビスムと 20 世紀絵画の起点と位置づけられる。MoMA 所蔵。
2. ゲルニカ(1937)
スペイン内戦中のゲルニカ爆撃を主題に、幅 7.77 m のモノクロ大画面で描いた反戦の歴史画。ゲルニカと反戦の絵画で、馬・牛・電球などの図像を読み解いている。
3. 分析的キュビスムの肖像群
「カーンワイラーの肖像」「ヴォラールの肖像」など、対象を細かい平面に分割して再構成する分析的キュビスムは、視覚そのものへの哲学的問いとして 20 世紀芸術全体に影響を与えた。ピカソとキュビスム革命を参照。
4. 「泣く女」とドラ・マール
1937 年前後に描かれた愛人ドラ・マールの肖像群は、シュルレアリスム的な感情の歪みとキュビスムの構造分析が融合した最強の系列である。
キュビスム革命の本質
- 多視点合成: 一つの対象を「正面・側面・上方」など複数の視点から同時に描き、平面に展開する
- 断片化と再構成: 対象を幾何形(立方体・円柱・円錐)に分解した上で再構築する
- パピエ・コレ/コラージュ: 1912 年以降、新聞紙・壁紙・楽譜の断片を画面に貼り込み、絵画という支持体の常識を破った
- 記号化: ギターの輪郭・f 字孔・新聞活字など、対象を「記号の組み合わせ」として描くことで、絵画と現実の関係を逆転させた
このキュビスム的方法は、その後の 未来派・構成主義・抽象絵画・モダニズム建築・グラフィックデザインすべての出発点となっている。
後世への影響
ピカソは生前から美術史の主役として扱われ、20 世紀美術館の展示は事実上 「ピカソ以後/ピカソ以前」で語られる。後続のシュルレアリスム・抽象表現主義・ポップアートはすべて、ピカソが解体した遠近法と一視点性の上に成立した。ダリのシュルレアリスムやウォーホルのポップアートもその延長上にある。
また、画家とパトロン・愛人・家族の関係を作品の主題に取り込んだ点も、20 世紀以降の作家像(自画像化された生活)に決定的な影響を与えた。
パートナーと制作期の対応関係
| 時期 | パートナー | 主な様式・モチーフ |
|---|---|---|
| 1904〜1912 | フェルナンド・オリヴィエ | バラ色の時代〜分析的キュビスム |
| 1912〜1915 | エヴァ・グーエル | 「Ma Jolie」連作、総合的キュビスム |
| 1918〜1935 | オルガ・コクローヴァ(最初の妻) | 新古典主義、舞踊と母子像 |
| 1927〜1937 | マリー=テレーズ・ヴァルテル | 女性像の彫刻的再構築、夢みる女 |
| 1936〜1946 | ドラ・マール | 泣く女、ゲルニカ前後の政治的時期 |
| 1944〜1953 | フランソワーズ・ジロー | 戦後の鳩、平和の図像 |
| 1953〜1973 | ジャクリーヌ・ロック(二人目の妻) | 晩年の肖像、闘牛・神話シリーズ |
美術館・市場での位置
- 主要美術館: パリのピカソ美術館、バルセロナのピカソ美術館、マラガのピカソ美術館、MoMA、テート・モダン、エルミタージュなど世界中に常設展示室を持つ
- 市場の存在感: オークション市場でも常に最上位を占め、「アルジェの女たち(Version O)」(2015 年、約 1.79 億ドル)は当時の絵画落札最高記録
- 真贋・著作権: 推定 5 万点という制作量に対し市場の偽作も多く、ピカソ財団による真贋調査体制が整えられている
- ゲルニカの所在: 一時期 MoMA に預けられていたが、フランコ独裁終結後の 1981 年にスペインへ返還され、現在はマドリードのソフィア王妃芸術センターに展示
陶芸と版画の重要性
南仏ヴァロリスのマドゥーラ工房に通った 1947 年以降、ピカソは 陶芸を本格的なメディウムとして採用した。皿・壺・タイルに描かれた闘牛・梟・牧歌的な人物像は、絵画とは異なる軽やかなユーモアを持ち、戦後地中海生活の中で量産された。版画もまた重要で、エッチング・リトグラフ・リノリウム版画で 約 2,400 点を残し、「ヴォラール連作」「画家とモデル」などのテーマ連作は版画史でも別格の存在となっている。
ピカソと政治
ピカソは 1944 年にフランス共産党に入党し、戦後は 「鳩」のドローイング(1949 年世界平和会議のポスター)で平和運動の象徴を提供した。スターリン肖像画事件(1953 年、党機関誌から不評を受けた)や、ハンガリー動乱(1956 年)に際する党批判など、共産党と一定の距離を保ちながらも、生涯にわたって党籍は維持した。ゲルニカ・朝鮮戦争連作・「死体置場」など、戦争の暴力を主題化した作品群は、20 世紀の 「政治と絵画」を結びつけた最重要例として位置付けられる。一方で、私的な空間ではブルジョワ的な生活を送り、批評家からは「公的政治と私的生活の分離」も指摘されてきた。
古典作品との対話
ピカソは生涯にわたって 古典絵画の「再描き」を続けた。ベラスケス「ラス・メニーナス」を 58 点の連作として解体・再構築(1957 年)、ドラクロワ「アルジェの女たち」を 15 点(1954〜1955 年)、マネ「草上の昼食」を 27 点(1959〜1962 年)、プッサン・グレコ・クラナハまでを自分の手で塗り替えた。これは単なる引用や模写ではなく、古典の構図を一度キュビスム的に分解し、自分の身体感覚で再構築するという独自の制作方法である。20 世紀美術における「アプロプリエーション(先行作品の取り込み)」の系譜は、デュシャンのレディメイドとピカソのこの再描きを二つの起点として展開する。日本の村上隆や蔡國強の作品にも、ピカソ的な「古典 ⇄ 現代」の往復運動が継承されている。
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続けてキュビスム革命とゲルニカを読むと、ピカソが「形式革新」と「政治的発言」をひとつの絵画言語で両立させていることが具体的に見える。
