伊藤若冲の動植綵絵|30 幅 10 年がかりで描かれた江戸最高峰の極彩色花鳥画
伊藤若冲(いとう じゃくちゅう、1716–1800)の 「動植綵絵」(どうしょくさいえ)は、江戸時代中期の京都で生まれた極彩色花鳥画 30 幅の連作です。
絹本着色、各幅約 142.6 × 79.7cm。1757 年頃から 1766 年頃にかけて約 10 年がかりで制作され、若冲自身が 江戸時代 の京都・相国寺(しょうこくじ)に寄進した一括の宗教美術品です。
明治維新の混乱期に皇室に献納され、現在は 宮内庁三の丸尚蔵館(東京・皇居東御苑)が収蔵。2021 年に 国宝に指定されました。江戸時代の花鳥画として国宝指定を受けた稀有な作例で、若冲という孤高の画家の到達点を物語ります。
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伊藤若冲の生涯と「動植綵絵」の位置
| 年 |
事項 |
| 1716 |
京都・錦小路高倉の青物問屋「枡屋」の長男として誕生 |
| 1738 頃 |
22 歳前後、家業を継ぐも商売には関心薄く、絵を独学 |
| 1755 |
40 歳で家督を弟に譲り、画業に専念 |
| 1757 頃 |
「動植綵絵」制作開始。並行して「釈迦三尊像」も着手 |
| 1765 |
相国寺に「釈迦三尊像」3 幅・「動植綵絵」24 幅を寄進 |
| 1766 頃 |
残り 6 幅を追補、「動植綵絵」30 幅が完結 |
| 1788 |
天明の大火で京都の家屋焼失、深草・石峯寺に隠棲 |
| 1800 |
京都で没。享年 85 |
「動植綵絵」とは何か
- 「動」=動物、「植」=植物、「綵」=彩り——あらゆる生命を彩色で描く意
- 30 幅すべて絹本着色、寸法ほぼ同一、掛軸装
- 「釈迦三尊像」3 幅と組で寄進され、本来は 釈迦の周囲に動植物の浄土を展開させる仏教絵画
- 制作時、若冲は浄土の供養として相国寺に寄進する意図を明言
- 仏画でありながら、博物画的観察と装飾性が共存する稀有な作例
30 幅の主題一覧(抜粋)
| 幅名 |
主題 |
見どころ |
| 芍薬群蝶図 |
芍薬と蝶 23 匹 |
多種の蝶を植物図譜のように描き分け |
| 梅花皓月図 |
白梅と満月 |
淡墨の月と純白の梅花の静謐 |
| 老松鸚鵡図 |
松と白鸚鵡 |
白絵具の厚塗りで羽毛の質感 |
| 群鶏図 |
13 羽の鶏 |
若冲の生家近所の鶏を写生した代表作 |
| 群魚図(鯛) |
多種の海魚 |
赤・銀の鱗を点綴で表現 |
| 群魚図(章魚) |
蛸と海産物 |
軟体の質感と海中の浮遊感 |
| 池辺群虫図 |
蛙・トンボ・蜻蛉 |
水辺の小宇宙の超克的写生 |
| 諸魚図 |
多種の淡水魚 |
水中視点での魚の動勢 |
| 南天雄鶏図 |
南天と雄鶏 |
赤い実と鶏冠の朱の呼応 |
| 芙蓉双鶏図 |
芙蓉と雌雄鶏 |
白絵具の繊細な羽毛描写 |
| 雪中鴛鴦図 |
雪と鴛鴦 |
白絹に積もる白雪の表現 |
| 梅花群鶴図 |
梅と鶴の群れ |
遠近に配した鶴の構成美 |
| 菊花流水図 |
菊と渓流 |
渦巻く水流の幾何学的処理 |
| 蓮池遊魚図 |
蓮と鯉 |
泥水の中の生命賛歌 |
| 桃花小禽図 |
桃と小鳥 |
春の色彩と鳥の躍動 |
| 牡丹小禽図 |
牡丹と小鳥 |
豪華な牡丹の堂々たる正面性 |
| 向日葵雄鶏図 |
向日葵と雄鶏 |
当時珍しい向日葵を描く |
| 大鶏雌雄図 |
大型鶏夫婦 |
羽毛 1 本の精密描写 |
| 群魚図(蛸) |
蛸・海老・貝 |
食材としての海産物の博物図 |
| 雪中錦鶏図 |
錦鶏鳥 |
羽の彩色と雪景の対比 |
群鶏図を読み解く
- 動植綵絵 30 幅の中で最も有名な一幅
- 13 羽の鶏が画面狭しと群がる
- 朱・黄・黒・白の鶏羽が複雑に重なり、画面全体が動勢に満ちる
- 若冲の生家・枡屋は青物問屋で、近所には養鶏農家が多かった
- 若冲は自宅の庭に鶏を放し飼いにし、徹底的に観察したと伝わる
- 羽毛 1 本 1 本を細筆で描き、彩色は何度も重ね塗り
絵具と技法
- 素材は 絹本。絹の地に膠(にかわ)で岩絵具を定着
- 絵具は 天然鉱物顔料:群青(藍銅鉱)、緑青(孔雀石)、辰砂(朱)、雌黄(石黄)、白絵具(鉛白・胡粉)
- 白絵具は厚塗りで盛り上げ、立体感を生む「裏彩色」併用
- 裏彩色:絹の裏側からも彩色し、表からの発色を補強する伝統技法
- 細部の点描は虫眼鏡を使ったような精度
- 朱の鶏冠、白の羽毛、黒の翼の対比で画面に強い緊張感
輸入科学知識との関係
- 18 世紀京都は蘭学・本草学(博物学)の集積地
- 若冲も本草学者・木村蒹葭堂と交流
- 動植綵絵には外来種(白鸚鵡、向日葵、錦鶏など)が登場
- 江戸期の博物図譜と並行する写実観察の精神
- 仏教絵画と博物学的観察を融合させた独自の境地
仏教絵画としての意味
- 釈迦三尊像と組で寄進された宗教美術品
- 三尊像の周囲を 30 幅の動植物が囲む配置で礼拝
- 「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」=あらゆる生命に仏性が宿る
- 動物・植物・水生生物まで含めた 大乗仏教の浄土観
- 若冲自身は熱心な禅宗信者で、相国寺・大典顕常和尚に師事
相国寺寄進の経緯
- 1765 年、相国寺方丈に「釈迦三尊像」3 幅・「動植綵絵」24 幅を寄進
- 翌年に 6 幅追補し計 30 幅となる
- 当時の住職・大典顕常(だいてん けんじょう)が若冲の精神的指導者
- 大典は儒学者でもあり、若冲の知的サークルの中心
- 寄進文書は現存し、若冲の信仰と画業の動機を伝える
明治期の宮内省献納
- 1889(明治 22)年、相国寺は維新後の経済難で寺領を失う
- 「動植綵絵」30 幅を宮内省に献納し、対価として 1 万円を受領
- 「釈迦三尊像」3 幅のみ相国寺に残る(現存)
- 以降「動植綵絵」は皇室御物として保管
- 1947 年宮内庁三の丸尚蔵館の管理下に
- 2021 年「国宝」指定(江戸花鳥画として極めて稀)
近年の再評価と展示史
- 2000 年京都国立博物館「没後 200 年 若冲」展で爆発的人気
- 2006 年「プライスコレクション 若冲と江戸絵画」展(東京国立博物館ほか)
- 2007 年相国寺承天閣美術館「若冲と動植綵絵」展、釈迦三尊像と 30 幅再会
- 2016 年「生誕 300 年記念 若冲展」(東京都美術館)入場者 44 万人、長蛇の列
- 美術館展示は劣化防止のため数年に 1 回程度に限定
若冲の他の代表作
- 「樹花鳥獣図屛風」(静岡県立美術館):升目描き 1cm 四方の方眼塗り分け
- 「鳥獣花木図屛風」(プライス・コレクション):8 万 6,000 マスの升目構造
- 「果蔬涅槃図」(京都国立博物館):野菜で釈迦涅槃図を構成
- 「象と鯨図屛風」(北陸・MIHO MUSEUM):水墨
- 「百犬図」(個人蔵):59 匹の子犬を描く晩年作
動植綵絵が美術史にもたらしたもの
- 江戸花鳥画の超絶技巧の到達点
- 仏教絵画と博物学的観察の融合という独自境地
- 明治以降長らく忘却されたが、20 世紀後半に再発見
- マンガ・現代美術にまで影響:村上隆「五百羅漢図」の細密描写
- 江戸時代に 伊藤若冲 という孤高の天才が存在した証
「動植綵絵」を観るための場所
- 宮内庁三の丸尚蔵館(東京・皇居東御苑):常設はせず特別公開
- 相国寺承天閣美術館(京都市上京区):釈迦三尊像と一部複製
- 京都国立博物館・東京国立博物館の特別展で時々公開
- 高精細デジタル画像は宮内庁公式サイトで一部閲覧可能
まとめ|動植綵絵を読む視点
- 40 代から 10 年がかりの画業全集中
- 仏教絵画として釈迦三尊像と組で機能した宗教美術品
- 絹本・裏彩色・天然鉱物顔料による超精密花鳥画
- 動植物のすべてに仏性を見る大乗仏教的世界観
- 2021 年国宝指定で江戸絵画の頂点として再評価が確定
あわせて 江戸美術の全体像 や 琳派 を読むと、京都の町絵師がもつ装飾性と若冲の特異性が比較できます。
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