長さ 約 70m、高さ 約 50cm の麻布。
そこに、馬・船・剣・矢・626 人の人間・202 頭の馬・55 匹の犬・506 匹のその他動物・37 隻の船・37 棟の建物が刺繍されている。
これが バイユーのタペストリー(フランス語:Tapisserie de Bayeux)。
1066 年の ノルマン征服を語る、世界最大の中世物語絵画です。
目次
基本データ
- 長さ:約 68.4m(オリジナル時は約 70m と推定)
- 高さ:約 50cm
- 素材:亜麻布に羊毛糸の刺繍(厳密には「タペストリー」ではない)
- 色糸:8 色(赤・黄・緑・青の濃淡)
- 制作:1070 年代、イングランドの工房と推定
- 場面数:50 余りの主要場面
- 登場:人物 626・馬 202・犬 55・船 37
「タペストリー」ではない
名前と異なり、機織で経糸緯糸を組む「綴織(タペストリー)」ではなく、亜麻地に羊毛糸で図像を縫う「刺繍」です。
- 「ステム・ステッチ」と「ラドン・カウチング・ステッチ」を併用
- 主にアングロサクソンの修道女・俗女が制作したと考えられる
- イングランドの刺繍水準は当時ヨーロッパ最高峰(Opus Anglicanum)
制作背景
- 注文主:オド司教(征服王ウィリアムの異父弟、バイユー司教)と推定
- 制作場所:カンタベリーの修道院工房と推定
- 初出記録:1476 年バイユー大聖堂の財産目録
- 長らく大聖堂の身廊に巡らせて展示
物語の内容
1064 年から 1066 年の出来事を描く。
第 1 部:エドワード王の遣使
- イングランド王エドワード懺悔王がハロルドをノルマンディーに遣わす
- ハロルド、海でブルゴーニュ伯に拘束
- ノルマン公ウィリアムが救出
第 2 部:ハロルドの誓い
- ウィリアムに「忠誠を誓う」ハロルド
- 聖遺物の上に手を置いた誓いで、後に背信の根拠となる
第 3 部:エドワード王の死とハロルドの戴冠
- 1066 年 1 月、エドワード没
- ハロルドがイングランド王に即位
- 「彗星」(ハレー彗星、1066 年 4 月)が不吉な前兆
第 4 部:ノルマン軍の準備
- 森を伐り船を造る
- 武具・食糧・馬を積み込む
第 5 部:海峡渡海
- 1066 年 9 月 28 日、ペヴェンジー上陸
- 馬を船で運ぶ場面が圧巻
第 6 部:ヘイスティングズの戦い(10 月 14 日)
- 盾の壁を組むイングランド歩兵
- ノルマン重装騎兵の突撃
- 射殺されるハロルド:「ハロルド ・レックス・インテルフェクトゥス・エスト(ハロルド王、殺された)」のラテン銘文
- 「目に矢を受けた」と読むかどうかで解釈論争が続く
第 7 部:終結
- 残党の退却で現存部分は終わる
- 結末は欠損(戴冠場面があったと推定)
図像学の見どころ
ラテン銘文
- 場面ごとに短いラテン語の説明が刺繍される
- 当時の口承伝達の補助として機能
- 「ハロルド・レックス(ハロルド王)」「ウィレルム・ドゥックス(ウィリアム公)」など称号の使い分け
上下の縁帯(マルジナリア)
- 動物寓話・農作業・狩猟・神話・性的諧謔の小場面が連続
- 本筋とアイロニカルに対応する読みも可能
- 中世写本のマルジナリア文化と共通
建築の正確さ
- ボスハム教会・ウェストミンスター寺院など実在建築の表現
- 盾の紋章・船の構造・武具のディテールが歴史考証の一級資料
誰が真の主人公か
- 表面:ノルマン側の勝利物語
- 細部:イングランドの刺繍工が制作したため、ハロルドへの哀惜が滲むという説
- 「裏切者ハロルド」と「悲劇の王ハロルド」の二重読みが可能
- 歴史叙述としての「視点の揺らぎ」も研究対象
修復と保存
- 1729 年、フランス学士院が学術調査
- ナポレオン期:パリで一時公開、英仏戦争プロパガンダにも利用
- 第二次大戦中:ナチスが略奪を計画したが間一髪回避
- 現在:バイユーのタペストリー博物館で巡回展示
- 2025-2026 年大規模修復&移送のためイギリスに数年貸出予定
後世への影響
- ナポレオン:英国侵攻の士気高揚に展示
- 近代:物語性の強い長尺絵画の源流(バンドデシネ・コミック・絵巻物との比較)
- 1944 年ノルマンディー上陸作戦の連合軍記念絵巻にも引用
- UNESCO「世界の記憶」登録(2007)
主な見学先
- バイユー・タペストリー博物館(ノルマンディー、フランス):オリジナル展示
- ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(ロンドン):原寸大複製
- レディング博物館(イングランド):19 世紀末の手刺繍複製
- 2025 年以降は大英博物館で一時公開予定(修復スケジュールと連動)
まとめ|バイユーのタペストリーを読む視点
- 長さ 70m、世界最大の中世物語絵画
- 「タペストリー」ではなく「刺繍」
- ノルマン征服史と中世イングランド工芸の双方の最重要史料
あわせて 中世美術全体 を読むと、写本・ステンドグラス・タペストリーが中世物語芸術の三本柱だったことが見えてきます。

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