巨大な空間に、ふわりと浮かぶ半球ドーム。
「ドームは天から鎖で吊り下げられているかのよう」――同時代の歴史家プロコピオスはこう書きました。
これが ハギア・ソフィア(Ἁγία Σοφία、トルコ語:Ayasofya、聖なる叡智の意)。
東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)にそびえる、ビザンティン建築の最高峰です。
目次
歴史の概要
- 360 年、コンスタンティウス 2 世が初代を建立(焼失)
- 415 年、テオドシウス 2 世が再建(再び焼失)
- 532 年、ユスティニアヌス 1 世が三代目を着工
- 537 年完成、わずか 5 年 10 か月の工期
- 537-1453 年:正教会大聖堂
- 1453 年オスマン征服後:モスクに転用、ミナレットが付加
- 1934 年:博物館に
- 2020 年:再びモスクに
設計者
- 建築家:トラレスのアンテミオス、ミレトスのイシドロス
- 2 人とも数学者・幾何学者でもあった
- 「実用建築家」より「数学家」が設計したのが特異
- 結果として、それまでに前例のない構造空間が誕生
建築データ
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| 全長 | 約 82m |
| 全幅 | 約 73m |
| 主ドーム直径 | 約 31m |
| 主ドーム頂上の高さ | 床から約 55m |
| 主ドーム外壁の窓 | 40 個の連続窓 |
15 世紀末セビリア大聖堂が登場するまで、約 1000 年間世界最大の聖堂でした。
構造の革新:ペンデンティブ
正方形の平面の上に円形ドームをどう載せるか。
これが古代以来の建築上の最大難問でした。
- パンテオン(ローマ):円筒の上にドーム=難問が発生しない
- ハギア・ソフィア:正方形の四隅から立ち上がる「ペンデンティブ」を発明
- ペンデンティブ:球面三角形の構造体、四隅が交わって円形の支台になる
- これによりドーム下に解放された大空間が誕生
ペンデンティブはビザンティン以降、ルネサンスの フィレンツェ大聖堂のドーム、そしてバロックのサン・ピエトロまで継承される基本技術になります。
主ドームと半ドームの連鎖
- 主ドーム(直径 31m、頂上 55m)
- 東西に各 1 つの半ドームが直接連結
- 半ドームの両側にさらに小さな半ドームが取り付く
- 結果として、東西方向に「ドーム+半ドーム+半ドーム」の連鎖空間ができる
- 南北は太い橋脚で支持し、横倒しの圧力を受ける
この連続するドーム空間が、ハギア・ソフィアの「内部の広がり」を生みます。
ドームを支えた素材
- 軽量レンガ:ロドス島産の軽い焼成レンガ
- 軽量モルタル:火山灰モルタル
- 木造下地は使わず、レンガと鉄筋(鉛で固定した鉄リング)で組む
- 当時の素材で実現可能な極限
それでも 558 年、地震で主ドームが崩落。
イシドロスの甥(小イシドロス)が設計を改良し、よりリブの多い高めのドームで再建(562 年)。
装飾
大理石
- 地中海全域から集められた色大理石
- 緑(テッサリア)、赤(プリュギア)、黄(北アフリカ)、白(プロコネソス島)
- 側壁は大理石パネルを「鏡像」に対称配置(自然紋様の絵画的活用)
モザイク
- 金地のテッセラ(モザイクピース)が壁・ドームを覆う
- ユスティニアヌス期は無人物的(金地と十字のみ)
- 9 世紀以降の聖像復興で人物モザイクが追加
- ナルテックス入口扉口:レオ 6 世とキリスト
- 南ギャラリー:「デイシス(懇願)」(13 世紀、ハギア・ソフィア最高傑作の 1 つ)
- 北ティンパノン:聖母子と皇帝・皇后
聖像論争(イコノクラスム)の影響
- 726-787 年、815-843 年:聖像破壊運動
- 多くの初期モザイクが消失
- 聖像復興後 9 世紀以降に新規制作・再現
オスマン期の改変
- 1453 年メフメト 2 世が征服、モスク化
- 4 本のミナレット(尖塔)を順次追加
- キリスト教モザイクは漆喰で覆われる(破壊されず保存される結果に)
- 17 世紀、ミフラーブ(メッカの方角)を聖堂軸からわずかにずらす形で設置
- カリグラフィーの大円盤 8 枚(19 世紀)が現存
19-20 世紀の修復
- 1847-49 年、フォッサーティ兄弟が大規模修復
- ドーム外壁に鉄輪を追加
- 1932 年以降アメリカのトーマス・ホイットモアがモザイク発見・公開
- 1934 年、博物館化に伴い漆喰除去で多くのモザイクが再公開
後世への影響
- ビザンティン建築:ヴェネチアのサン・マルコ寺院、ロシア正教会のドーム聖堂
- オスマン建築:ミマール・スィナンのスレイマニエ・モスクなどイスタンブール大モスク群の直接モデル
- ヨーロッパ:フィレンツェ大聖堂のドーム、サン・ピエトロまで
- 近現代:ペンデンティブと大ドームのモデルは今も建築教科書の最初の章
まとめ|ハギア・ソフィアを読む視点
- ペンデンティブによる「正方形の上の円ドーム」を実現した最初の大聖堂
- ビザンティン・オスマン両時代の層が重なる稀有な建造物
- 世界遺産(イスタンブール歴史地区)、現在もモスクとして礼拝が続く
あわせて 中世美術全体 や ビザンティン美術とイコン を読むと、東方キリスト教美術の全体像が掴めます。

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