馬遠とは
馬遠(ば・えん、1160 頃-1225 頃)は、南宋・寧宗朝(在位 1194-1224)の画院(宮廷画院)を代表する職業画家。字は欽山、銭塘(現・浙江省杭州)に生まれ、馬氏という五代続く宮廷画家の家系に生まれた。曾祖父・馬賁、祖父・馬興祖、父・馬世栄、兄・馬逵、子・馬麟と、五代にわたって画院に仕えた稀有な画家一族の中心人物である。
馬遠の最大の革新は、画面の一隅に主題を寄せて広大な余白を残す「辺角の景(へんかくのけい)」と呼ばれる構図にある。北宋以来の壮大な「全景山水」(画面いっぱいに山河を描く構図)を放棄し、岩・松・人物を画面の左下や右下の一角に配置することで、見る者の想像力に余白の景色を委ねる構図革新を成し遂げた。彼の様式は 夏珪 と並んで「馬夏(ばか)」と総称され、南宋院体山水画の代名詞となった。
主要トピック
1. 五代続く画家一族(1160 頃-1180 頃)
馬遠は北宋末期から南宋にかけて画院に仕えた馬氏一族に生まれる。曾祖父・馬賁は北宋徽宗朝の画院待詔、祖父・馬興祖は南宋高宗朝、父・馬世栄は孝宗朝の画院待詔。兄・馬逵、息子・馬麟も画家となり、馬遠の家は南宋宮廷画家のなかで最も継続性のある一族となった。生年は不詳だが、活動期は寧宗朝(1194-1224)が中心で、画院待詔・祇候・賜金帯などの最高位を歴任した。
2. 「辺角の景」の確立(1190 年代)
北宋の郭熙・李成らが描いた「全景山水」は、画面の中央に巨大な山岳を配し、麓の渓流・橋・人家を細密に書き込む様式だった。馬遠はこれに対し、画面の一隅(多くは左下または右下)に岩・松・舟・人物を集中させ、残りの広大な空間を余白として残す構図を体系化した。これにより画面外への想像力を見る側に促し、「描かれない景色」が作品の主題となる新しい山水観を提示した。「馬一角(ば・いっかく)」というあだ名は、まさにこの構図革新を端的に表す。
3. 「水図」と水の連作(1190-1200 年代)
馬遠は流水・波・湖面・激流をテーマにした「水図」と総称される連作を残した。北京・故宮博物院所蔵の「水図」12 図は、洞庭風細・層波叠浪・寒塘清浅・長江万頃・黄河逆流・秋水回波・雲生滄海・湖光瀲灔・雲舒浪巻・暁日烘山・細浪漂漂・曉日烘山と銘打たれた水の表情の図像辞典である。これは中国絵画史で例を見ない、水だけをテーマにした連作で、後世の画家にとって水表現の手本となった。
4. 寧宗・楊皇后との関係
寧宗朝で画院待詔を務めた馬遠は、皇后・楊氏(楊皇后、1162-1233)との関係でも知られる。楊皇后は自ら詩文を能くし、馬遠の山水・人物画にしばしば題詩を書き加えた。「華燈侍宴図」「踏歌図」など現存作品の多くに楊皇后の御題があり、画家と皇室の密接な共同制作が南宋院体画の特徴を形成した。馬遠は宮廷の儀礼・季節行事を主題とする画でも一流で、宮廷文化の視覚的記録者でもあった。
5. 「馬夏」と南宋院体山水(1200 年代)
馬遠と同時代の 夏珪 は、ともに南宋院体山水の双璧と並称され「馬夏(ばか)」と総称される。両者の様式は近いが、馬遠が「岩・松・人物」を構図の中心に据えるのに対し、夏珪は「水墨の濃淡で大気を表現する」点に重心を置いた。両者の様式の融合が南宋院体画の到達点となり、明代以降「馬夏派」として独立した系統を築いた。
6. 後世評価と日本への影響
馬遠の評価は元代以降、文人画家による批判(董其昌の「南北二宗論」では北宗=院体画として相対的に低位置づけ)を受けるが、明清の職業画家・浙派系では継続的に範とされた。日本では鎌倉・室町期の禅宗寺院経由で水墨画として将来され、雪舟・狩野元信・長谷川等伯の山水画に直接的影響を与えた。室町水墨画における「馬夏様式」の流行は、馬遠なくして成立しない。
代表作・代表事例
| 作品名 | 形式 | 所蔵・概要 |
| 踏歌図 | 絹本着色立軸 | 北京・故宮博物院。寧宗御題のある代表的山水人物画 |
| 水図十二段 | 絹本水墨冊頁 | 北京・故宮博物院。水だけをテーマにした連作 |
| 華燈侍宴図 | 絹本着色立軸 | 台北・国立故宮博物院。宮廷夜宴の図 |
| 梅石渓鳧図 | 絹本着色冊頁 | 北京・故宮博物院。馬遠の小品の代表 |
| 寒江独釣図 | 絹本水墨立軸 | 東京国立博物館。「馬一角」構図の典型 |
| 山徑春行図 | 絹本着色冊頁 | 台北・国立故宮博物院。春の山道を行く文人 |
| 西園雅集図 | 絹本着色巻 | 納爾遜美術館(カンザスシティ)他 |
とくに「寒江独釣図」は、画面の左下に小舟と釣り人を一人だけ配し、残りの画面を完全な余白として残した「馬一角」構図の到達点で、東京国立博物館が所蔵する。この作品は柳宗元の詩「独釣寒江雪」(千山鳥飛絶、万径人踪滅)を画面化したものとされ、中国詩と山水画の典型的結合例となっている。
主要所蔵先
- 北京・故宮博物院:「踏歌図」「水図」「梅石渓鳧図」など馬遠真筆の最重要拠点。
- 台北・国立故宮博物院:「華燈侍宴図」「山徑春行図」など宮廷主題の山水画を所蔵。
- 東京国立博物館:「寒江独釣図」を所蔵。日本における馬遠真筆の最重要拠点。
- 大阪市立美術館:阿部コレクション(阿部房次郎旧蔵)に「高士観瀑図」など南宋院体画。
- 京都・大徳寺:禅宗寺院経由で伝わった水墨画。京都国立博物館 の中国絵画展で定期公開。
- メトロポリタン美術館・クリーブランド美術館・納爾遜美術館:欧米の中国絵画コレクションの中核として馬遠の冊頁・小品を所蔵。
- 奈良・大和文華館:南宋院体画の伝来作品。
技法・特徴
- 辺角の景:画面の一隅(左下または右下)に主題を集中させ、残りを余白とする構図。北宋全景山水の対極で、画面外の景色を見る側の想像に委ねる。
- 斧劈皴(ふへきしゅん):岩肌を斧で割ったような直線的な皴法(しゅんぽう、岩の質感を表す筆致)。北宋の李唐から継承し、馬遠が画院様式として完成させた。
- 残山剰水(ざんざん・じょうすい):「壊された山、残された水」の意。画面の不完全性そのものを美の主題に高めた様式概念。北宋全景山水の理想的調和に対する、南宋的アンチテーゼ。
- 松の鋭い葉先:松葉を一本一本鋭く描く独自の表現。馬遠の松は「鶴爪松(かくそうしょう)」と呼ばれ、後世の画譜の手本となった。
- 水墨と淡彩の併用:水墨の濃淡を主体に、岩肌や水面に淡い青緑を加える。水墨 表現の到達点を示す。
- 釣人・文人の小景:画面の主題は山水だが、必ず小さな人物(釣人・文人・舟夫)を配し、人と自然の関係を主題化する。これは中国山水画の「点景人物」の典型的扱い。
- 「水図」の波紋表現:水だけをテーマにした連作は、波・流れ・激流・静水を 12 種の異なる筆法で書き分け、中国絵画における水表現の図像辞典となった。
影響・後世
馬遠の様式は元代以降、文人画家によって職業画として相対的に低く評価されたが、明代の浙派(戴進・呉偉ら)が直接的継承者となり、宮廷画と職業画の系譜を形成した。明末の董其昌の「南北二宗論」では北宗(職業画系)の代表として位置づけられ、文人画(南宗)と並ぶもう一つの中国絵画史の系譜の主軸を担うこととなる。
日本における馬遠の影響は決定的である。鎌倉・室町期に禅宗寺院(大徳寺・天龍寺・東福寺など)経由で大量に伝来した南宋院体画は、雪舟・周文・狩野元信ら室町水墨画の巨匠の直接の手本となった。長谷川等伯 の「松林図屛風」(東京国立博物館・国宝)に見られる広大な余白と松の表現は、馬遠の「辺角の景」と「鶴爪松」を起点に発展した日本水墨画の到達点である。
2014 年には大阪市立美術館で「阿部コレクションと中国絵画」展が開かれ、馬遠を含む南宋院体画の名品が公開された。台北・国立故宮博物院は「南宋」をテーマにした特別展を不定期で開催し、馬遠・夏珪・李唐ら南宋画院の核を一望できる。日本では東京国立博物館の東洋館中国絵画コーナーで「寒江独釣図」が定期的に公開される。
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続けて、夏珪のタグ TOP と長谷川等伯のタグ TOP を読むと、南宋画院から日本室町水墨画への伝来と独自展開が時系列で掴め、馬遠が果たした「全景山水を解体した余白の発明」が東アジア絵画史全体の文脈で立体的に見えてくる。実物鑑賞には、東京国立博物館の東洋館中国絵画コーナーの展示替えスケジュールを事前確認することが必須である。