ロバート・ラウシェンバーグとは
ロバート・ラウシェンバーグ(Robert Rauschenberg、1925-2008)は、 20 世紀後半のアメリカ美術を代表する画家・版画家・パフォーマー・舞台美術家である。1950 年代に発表した「コンバイン(Combines)」シリーズで、絵画とオブジェの境界を解体し、抽象表現主義の「内面表現」から、現実世界の事物そのものへ視点を移した。ジャスパー・ジョーンズと並び「ネオ・ダダ」と呼ばれた世代の中心人物で、後のポップアート・コンセプチュアル・アート・パフォーマンスへの結節点を作った。
ラウシェンバーグの代表的な発言「私は芸術と人生の隙間で活動したい」が、彼の制作論を端的に表す。新聞、廃材、剥製、衣類、街路の写真——それらをカンバスに直接組み込み、戦後アメリカの大量消費社会と都市の表面そのものを絵画にした。本記事は、彼の生涯・代表シリーズ・技法・後世への影響を整理する hub である。
主要トピック
1. ブラックマウンテン・カレッジ時代
1925 年テキサス州ポート・アーサー生まれ。海軍除隊後、 1948 年にノースカロライナ州のブラックマウンテン・カレッジでヨーゼフ・アルバースに学ぶ。ここで作曲家ジョン・ケージ、振付家マース・カニンガム、デザイナーのバックミンスター・フラーらと出会い、ジャンル横断的な共同制作の方法論を吸収した。ケージの偶然性とカニンガムの動きは、ラウシェンバーグの後の制作思想に深く影響する。
2. 「ホワイト・ペインティング」と「消されたデ・クーニング・ドローイング」
1951 年の「ホワイト・ペインティング」(白く塗っただけの大画面)は、ジョン・ケージにとって『4'33"』(1952)のひらめきの源となった。1953 年の「消されたデ・クーニング・ドローイング」は、抽象表現主義の英雄ウィレム・デ・クーニングの素描をラウシェンバーグが消しゴムで一か月かけて消した作品で、巨匠の身振りそのものを「消去」というネガティブな身振りに置き換えた、戦後アメリカ美術の象徴的事件である。
3. コンバイン(Combines)の発明
1954-64 年に制作された「コンバイン」シリーズは、ラウシェンバーグの代名詞である。カンバスにキルト、枕、剥製の鶏や山羊、自動車のタイヤ、ラジオの内部部品、街頭写真、コカ・コーラ瓶などを直接組み込み、絵画と立体の境界を解体した。代表作『モノグラム』(1955-59、剥製の山羊にタイヤ)と『ベッド』(1955、自身のキルトと枕に絵具を垂らした作品)は、戦後アート史の必須項目である。
4. シルクスクリーン絵画
1962 年から、ラウシェンバーグは新聞・雑誌・自身の写真をシルクスクリーンでカンバスに転写する手法に切り替えた。ケネディ大統領、宇宙開発、軍事、街頭広告——同時代のアメリカのイメージが、抽象表現主義的な絵具の身振りと並存する。1964 年、ヴェネチア・ビエンナーレでアメリカ人画家として初の金獅子賞を受賞し、ヨーロッパ美術界に「ニューヨーク・スクール」の中心が確実に移ったことを宣言した。
5. 国際的展開と社会活動
1980 年代の「ROCI(ラウシェンバーグ国際文化交流計画)」では、メキシコ、チリ、中国、ソ連、キューバなど 11 か国を巡って各国アーティスト・職人と共同制作した。冷戦下のグローバル芸術交流の先駆例であり、彼が制作だけでなくアートの国際的流通そのものを思想化していたことを示す。
代表作・代表事例
| 制作年 | 作品 | シリーズ | 位置づけ |
| 1951 | ホワイト・ペインティング | 初期モノクローム | ケージ『4'33"』の触媒 |
| 1953 | 消されたデ・クーニング・ドローイング | 消去シリーズ | 巨匠の身振りを消す象徴的作品 |
| 1955 | ベッド | コンバイン | 絵画と寝具の融合 |
| 1955-59 | モノグラム | コンバイン | 剥製の山羊とタイヤ、戦後美術の象徴 |
| 1959 | キャニオン | コンバイン | 剥製の鷲を組み込んだ大作 |
| 1962-64 | レトロアクティブ I, II | シルクスクリーン絵画 | ケネディ・宇宙のイメージ |
| 1964 | ヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞 | — | 米国画家初の受賞 |
| 1985-91 | ROCI(国際文化交流計画) | — | 11 か国を巡る共同制作 |
技法・特徴
- 異素材のコラージュ:絵具・新聞・布・剥製・廃材まで、現実世界の事物をそのままカンバスに組み込む。
- ソルベント転写:1958 年頃から開発した手法で、雑誌のインクを溶剤で紙やカンバスに移し、ぼやけた現代イメージを画面に呼び込む。
- シルクスクリーンの二重コーディング:写真ベースの版画と、抽象表現主義由来の絵具の身振りを同一画面に重ね、引用と即興を同時に行う。
- 共同制作と舞台:マース・カニンガム舞踊団の舞台美術や衣装、トリシャ・ブラウンの公演装置など、絵画とパフォーマンスの境界を恒常的にまたぐ。
- ROCI の国際協働:制作プロセスそのものを多国籍の交流として組織し、現代の関係性アートやコミュニティ・アートの先駆例となった。
影響・後世
ラウシェンバーグの「絵画と人生の隙間」という思想は、 1960 年代以降のあらゆる現代美術に及ぶ。ポップアートのウォーホル、コンセプチュアル・アートのソル・ルウィット、ミニマリズムのジャッド——彼らの誰もが、ラウシェンバーグが切り拓いた「絵画の外に出る」道筋を別々に展開した後継者である。
1964 年のヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞は、ヨーロッパ中心だったモダンアートの重心がニューヨークに完全に移ったことの象徴的事件として、戦後美術史の標準的な参照点となっている。日本では森美術館(2008 年)や DIC 川村記念美術館の所蔵作品を通じて、彼のコンバインとシルクスクリーン絵画を実物で確認できる。
関連 hub・関連記事
続けてウォーホルとポロックの関連記事を読むと、ラウシェンバーグが「アクション・ペインティング」と「ポップアート」の双方を内側から組み替えた中間的存在であった理由が立体的に見えてくる。
よくある疑問(Q&A)
Q1. コンバインと絵画の違いは?
コンバインは、ラウシェンバーグが「Painting でも Sculpture でもないもの」を指す自作用語です。物質的にはオブジェを組み込んだ絵画ですが、彼自身は「Combine Painting」と呼ぶことで、絵画と彫刻の二項対立そのものを廃棄しようとしました。
Q2. ジャスパー・ジョーンズとの関係は?
1954-1961 年にニューヨーク市マンハッタンの隣接スタジオで暮らし、共同で制作論を磨きました。共通点はオブジェ・引用・現実世界の事物を画面に取り込む姿勢で、しばしば「ネオ・ダダの双子」と呼ばれます。
Q3. ROCI 計画はどのような意義をもちますか?
1985-91 年、ラウシェンバーグは私財を投じて 11 か国を巡り、各国の素材・職人・印刷技術と共同制作した作品を国際巡回展としました。冷戦下に米ソ・キューバ・中国を含むネットワークを実現したこと、現地のアーティストとの双方向制作を制度化したことの両方で、現代美術の国際協働モデルの先駆例とされます。