パリ・モンマルトルの野外舞踏会。
木漏れ日が踊り手たちの肌の上で揺れる。
ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir, 1841〜1919)。
彼は 印象派 のなかでも、終生「人」を描き続けた画家でした。
目次
ルノワールとは
- 1841 年フランス・リモージュ生まれ
- 13 歳から磁器絵付け師として働く
- 1862 年エコール・デ・ボザール入学、グレールのアトリエへ
- モネ・バジール・シスレーと知り合う
- 1874 年第 1 回印象派展に参加
ルノワールの画風の変遷
① 初期(〜1870 年代前半):印象派以前
② 印象派時代(1870〜1880 頃)
- モネと並走、戸外制作
- 木漏れ日、雪、川面の光斑
- 「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」(1876)
- 「ぶらんこ」(1876)
③ 「無味乾燥(アングル)期」(1880〜1890 頃)
- 1881 年イタリア旅行
- ラファエロ・ポンペイ壁画に開眼
- 輪郭線とデッサンを取り戻す
- 「大水浴」(1884〜87、フィラデルフィア美術館)
④ 真珠色の時代(1890 〜1900 頃)
- 柔らかな色調と人体の充実
- 「ピアノに寄る娘たち」(1892、オルセー)
⑤ 晩年カーニュ時代(1900〜1919)
- 南仏カーニュ=シュル=メールに移住
- 関節リウマチで指に絵筆を縛りつけて制作
- 赤みの強い肉感的な裸婦像
- 「浴女たち」(1918〜19、オルセー)
三つの代表作
「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」(1876、オルセー)
- モンマルトルの野外ダンスホール
- 木陰に揺れる光の斑点
- 友人画家・モデルが踊り手として登場
- 印象派の集団像の最高傑作の一つ
「シャルパンティエ夫人と子供たち」(1878、メット)
- 出版者夫人の家庭肖像画
- サロン入選で経済的成功
- フェルメール風の青と白の調和
「舟遊びの人々の昼食」(1880〜81、フィリップス・コレクション)
- セーヌ河畔シャトーのレストラン・テラス
- 後の妻アリーヌ・シャリゴが左下に
- 14 人の友人を集めた群像
- 印象派から「綜合」への過渡期
ルノワールの人物画の特徴
- 真珠のような肌の輝き(朱・白・青の混色)
- 柔らかな輪郭、ふくよかな体型
- 明るい衣装と花柄の生地
- 幸福で平穏な日常の主題
- 不幸や悲劇を描かない方針
「私が描くのは美しいものだけ」
ルノワールはパリ・コミューンや戦争などの社会的主題を絵画から排除しました。
- 「絵画はすでに辛く悲しいものに満ちている人生を、美しさで補うべきだ」
- 幸福のリアリズムを追求した稀な近代画家
- ロココ(フラゴナール)への深い親近
家族と私生活
- 1890 年アリーヌ・シャリゴと結婚
- 3 人の息子: ピエール(俳優)、ジャン(映画監督『ゲームの規則』『大いなる幻影』)、クロード(陶芸家)
- 家族は晩年の主要なモデル
同時代との比較
| 画家 | 主題 |
|---|---|
| モネ | 風景・光・季節 |
| ドガ | バレエ・室内・肖像 |
| ルノワール | 人物・群像・幸福 |
後世への影響
- 晩年の量感ある裸婦は マティス・ピカソに影響
- 「赤の女性」「ジュアンヴィルの夕食」: モディリアーニの曲線美
- 戦後の「人物画の幸福」: バルテュス、ホックニー
- 映画監督ジャン・ルノワール『大いなる幻影』『ゲームの規則』:父の絵画美学を映像化
主な所蔵先
- オルセー美術館(パリ):「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」「ピアノに寄る娘たち」「浴女たち」
- メトロポリタン美術館(ニューヨーク):「シャルパンティエ夫人」
- フィリップス・コレクション(ワシントン D.C.):「舟遊びの人々の昼食」
- バーンズ財団(フィラデルフィア):181 点の世界最大の個人コレクション
- 国立近代美術館(パリ)など
まとめ|ルノワールを読む視点
- 印象派の中で「人」を最も多く描き続けた画家
- ロココの優雅と印象派の光を融合させた
- 晩年の量感ある裸婦像は 20 世紀絵画の橋渡しに
19 世紀西洋美術と印象派を学ぶ上で、モネの風景と並ぶもう一本の太い柱がルノワールの人物画です。

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